"
ンキラー"
  2


 翌日の土曜日、俺たちは一旦家で着替えて昼食を済ませてからフットサル場に行くことになった。
「何だよ、スカートで来たのかよ」
 待ち合わせ場所に現れた安良木を見て、俺は思わずがっかりしてしまった。
 淡いブルーのワンピースにカーディガンはどう見ても運動向きではない。安良木とは対照的に、俺の方はハーフパンツにパーカーとTシャツを重ね着した軽装だ(不幸中の幸いで、タンスの中身はぶりぶりの女の服に入れ代わっていることはなく、殆どが前から持っていたものがSサイズに変わった程度ですんでいた)。
 俺の落胆ぶりがよっぽどおかしかったのか、安良木はくすくすと笑う。
「似合わない?」
「違うよ、全然よく似合ってるよ、でもそれじゃ一緒にできねーじゃん」
 口を尖らせて弁解する俺の頭を安良木が手を伸ばして撫でる。
 寿樹にやられると腹が立つが、安良木に撫でられるのは何となく嬉しい。
「云ったじゃない、私はサッカーしてるを見に来たの、自分でするつもりはないわ。球技って苦手なの、団体行動がどうも駄目」
 よしよしと大人しく髪を撫でられながら、俺は溜息を吐いた。
 仕方ねーよな、本人がやりたくねーんじゃさ、ほんとは結構楽しみにしてたけど。
「行きましょ? 須釜君待ってるわよ、きっと」
「待たせときゃいーんだよ、あんな奴」
 その名前に途端に俺は不機嫌になる。
 フットサル場に行くのは三人でだけど、俺は安良木と一旦別の場所で待ち合わせた。何でそんなことをする必要があったのかっていうと、安良木が最後に到着した場合、その間俺は寿樹と二人っきりになってしまうからだ。そんなの死んでもごめんだ。
「多分、彼はアナタとの待ち合わせなら何時間でも本当に待つわよ」
「そのままそこに一生突っ立ってて、二度と俺の前に現れなきゃいいのに」
 からかうような響きに憎々しげに答えると、安良木はふふと囀るような声を零しただけでそれ以上何も云わなかった。ときどき物足りないこともあるけど、安良木のこういうところが好きだ。
 並んで歩きながら俺はこっそりと斜め下の安良木を盗み見る。ワンピースはともかく、アイスブルーって色が少し意外だった。
 似合ってないわけじゃない、可愛いよ、すっげぇ。
 でもさ、何か俺の中じゃピンクとかイエローとか暖色のイメージがあって、シャーベットみたいな冷たいブルーってのが安良木らしくないような気がしてびっくりしたっていうか。だって何で俺なんかと仲良くしてくれるのか謎なくらい安良木ってホント女の子って感じなんだもん。
 てか、『女らしいイコールピンク』とか思ってた俺の頭が古いのか。
 自分の頭が意外と硬かった事実に俺は小さく肩を竦めた。


「あら」
 待ち合わせ場所で、寿樹は見知らぬ女たちと一緒だった。
 一見穏やかそうな笑顔で、多分年上だろう女たちに囲まれて楽しそうに会話している。
 フットサル場の場所を寿樹は明かさなかった。けど、電車を使うとは云わなかったからこの近所のはずだ、寿樹がいなくとも自力で発見出来る可能性は高い。
 安良木に行こうぜって云う前に奴が俺に気付く。回りの女どもも寿樹の視線を追って俺を振り返り、そして何故か目を丸くした。
「じゃ、ごめんね」
 それだけの言葉で寿樹はあっさりと女たちを見捨てて俺たちの方へと歩き出す。女たちの表情が残念そうに曇り、次に寿樹の肩越しに俺を睨む。
 女相手に睨み返すのも馬鹿らしく、寿樹を待たずに踵を返して歩き出す。
「ナンパ?」
「向こうからね。一緒に遊ばな〜い? って誘われちゃった」
 安良木の質問に俺たちに追い付いた寿樹が平然とした顔で答える。ここで狼狽えるくらいすりゃあ、ちょっとは可愛げがあるのによ。
「そのまま付いてっちまえば良かったのに」
 俺が小声で毒突くと、日本語を解さない宇宙人は嬉しそうに「嫉妬?」とぬけぬけと抜す。
 死ね、このウスラトンカチ。
 怒りの余り頬を引き攣らせながら、俺は寿樹を激しく睨む。
「安心しろ。それだけは絶っっ対に、無いから」
 絶対という言葉を殊更強調してやったのに、はははと寿樹は軽やかに笑い飛ばす。
「僕は絶対とか永遠なんてものの存在は信じてないから」
「生憎モノじゃねぇんだよ、意思だ、俺の。テメェが信じようが信じまいが、俺にはテメエが大っ嫌いだって意思を死んでも曲げる気はないんだから、俺がそう思う限り絶対なんだよ」
「じゃあますます君が素直に僕を愛してるって云ってくれる可能性が上がるわけだ。人の意思ほど脆弱で希薄で容易く翻ってしまうものはないから」
「てめぇそれは俺が根性なしだって云いたいのか?」
「あーもう止めっ!」
 安良木が珍しく大きな声を出したから、俺は思わずびくっとなる。
もいちいちそんなにカッカしないの! 須釜君もにこれ以上嫌われたいわけじゃないでしょ、わざと怒らすようなこと云わないの!」
 俺はしゅんとなった。確かに連れの二人が喧嘩していたら、一緒にいる安良木は堪ったもんじゃないだろう。
「ごめん……」
「あはは、ごめんね、蓑本さん。がこんなに喋ってくれるの久々だからさ〜、つい面白くって」
 なぬ!?
 瞬時に寿樹を振り仰いだ俺の後頭部を安良木がぽこんとチョップする。
「ほら、相手にしないの。この人はね、が怒って反応してくれるのが嬉しくて仕方ないの。だからアナタがそうやってむきになったら思う壺なのよ。この人はこーんな大きな身体をしているくせに、やっていることは小学生の男の子が好きな女の子苛めてるのとたいして変わらないんだから」
「酷いな〜、蓑本さん、ばらさないでよ〜。僕、ナイーブで照れ屋さんなんだから〜」
 アホの寝言はきっかり無視して、俺は真剣な顔で安良木の腕を掴む。
「じゃ、じゃあ俺はどう対処するのが一番いいんだ!?」
「そうねぇ」
 安良木が笑いを滲ませた瞳でちらりと寿樹を仰ぎ見た。寿樹は何ら慌てた様子もなくにこにこしている。俺だけが固唾を呑んで返答を待つ。
 安良木はにっこり笑って首を傾げた。
「それは自分で考えましょうね?」
「ええ〜!?」
 何だよ、何だよそれぇぇ〜……。
 不満を露わに口を尖らせると、安良木はまた慰めるように俺の頭をよしよしと撫でる。
「マニュアル通りに行動したって上手く行くとは限らないのが人間関係なの。自分でちゃんと考えて正しいと思えることを自分で選択しないと後悔するわよ」
 そうかもしれないけどさぁ……。
 諦めきれずにじとっとした眼差しを向けると、安良木はやけに大人っぽい仕草で瞳を細めた。
「それじゃあ簡単なヒントをひとつ。人の思い込みって結構強烈なものよ。喰べられないって思っていたものだって、実際に口に入れてみないと味なんて解らない」
 それを聴いた途端、寿樹があははと笑い出した。
「知らなかった、蓑本さん、僕の味方だったんだ」
「あら、私は中立よ? だって喰べたらほんとに不味くて二度と喰べるもんか! って思うかもしれないでしょ?」
「…………俺、トマト喰えないんだけど、もう小二から喰ってないんだけど、それをもっかい喰ってみろってことか?」
 安良木はきょとんとして、寿樹も中途半端に停止した笑顔で俺を見た。それから二人して顔を見合わせて、深くて長い溜息を吐く。
 何で寿樹の話から喰わず嫌いの話になるのかビタイチ解らんかったが、俺は自分なりに真面目に一生懸命考えてそう云ったのに、何だよその反応は。
「……私ね、中立だけど、これからも二人のことどうこう云うつもりなんてないけど、今だけはちょっと須釜君が可哀想になったわ…」
「僕はの素直なところが可愛くて大好きだけど、まったく可愛いにも程があるよね〜……」
 何だよ、何二人で結託して俺をのけ者にしてるんだよ?
 俺はいじけて今度は安良木もほっぽってずんずん一人で歩き出した。
「待ってよ、。ねぇ須釜君、あとどれぐらいで着くの? あ、そういえば須釜君はどうするの? と一緒にやるの? それとも、向こうで誰かと約束してるの?」
「もうすぐ着くよん。はとりあえず最初は女の子と一緒にやってルールに慣れた方がいいと思うんだ、サッカーとフットサルって似ているようで結構違うから。だから、残念だけど今日は別行動だね。
 約束とかはしてないけど、僕は適当に顔見知りのとこ入れてもらったり、人数足りないとこの助っ人に混ぜてもらえると思う」
「顔見知りって、他の学校のサッカー部の子?」
「んー、そうでもない。中学生って少ないんだ、お金がいる所為か。
 桜上水のサッカー部の人が最近良く来ててね〜、仲良くなって、まぁそこも全員桜上水の人って訳じゃないんだけどね、空きがあるならそこに混ぜてもらったり。あとは飛葉中の人も来てるって聞くけど、僕はまだ面識ない。中学生はそれぐらいしか知らないなぁ、声かけてくれるのってだいたい社会人の人だし」
「須釜君、制服脱ぐとますます中学生に見えないもの。本当は年下でも、声かけづらいのも解るわ」
「こんなに僕はフレンドリーなのにね〜、あ、そこの公園だよ」
 最後の台詞に冗談も大概にしろこのボケって云ってやろうかって思ったんだけど、俺は目の前の光景に心を奪われてしまって最早寿樹のアホどころじゃなくなっていた。
 まだ距離はあるのに、感じるんだ。
 ボールの弾ける音、翻弄される土埃の臭い、それから歓声と怒声。
 夢遊病者みたいに俺はふらふらと足を進めて、辿り着いたフェンスに指を絡ませる。無意識の内に指先に力が篭って、気が付けば俺は変形させるぐらい強く金網を握りしめていた。
 ボールが目まぐるしく移動するのを見ているだけで心臓がどきどきしてきて、頬が熱くなってくる。その独特の空気を肺にめいいっぱい吸い込んで苦しいぐらいだった。
 血が騒ぐ、ってまさにこういう状態のことを呼ぶのだろう。俺はもう一秒でも速くあの中に混ざりたくて、居ても立ってもいられない気分だった。
「五百円で二時間使えるからね。え〜と、蓑本さんはやらないんだよね?」
「ええ。の試合見てるわ」
「携帯かピッチ持ってる?」
「うん」
「えっ!?」
 視線はコートに固定しつつ、聴くともなしに聴いていたその会話にびっくりして俺は現実に引き戻される。
 寿樹が持っているのは知っていたけど、安良木がそんなの持ってるなんて聴いてねーよ!
「ラギ、持ってんの!?」
「うん」
 安良木は何てことないふうに、小さなバックからメタリックブルーの二つ折りの携帯電話を取り出した。
「何だよ、何で教えてくれなかったんだよ……?」
 仲間外れにされたような気がして、俺は思わず情けない声でそんなことを云ってしまった。何か絶対、俺今眉毛下がってると思う。
 安良木は今度は俺の頭を撫でたりせずに優しく微笑んだ。
だけに教えてないわけじゃないのよ。学校の子たちは誰も知らないわ」
 その言葉にちょっと元気になったものの、今度は首を傾げる番だった。
「何で? 買ったばっかなのか?」
 俺だったら自慢するけどなぁ。
 用があったら遠慮なくかけてきたまえ! とかってさぁ。
 安良木は記憶を辿るように空に視線を向けた。その顔が何だか色っぽくて、俺はちょっとどきっとする。
「これに買い換えたのは割と最近だけど、携帯自体はもう二年ぐらい持ってるかしら」
「じゃあ何で皆に教えないの?」
 結局、最初の疑問を繰り返した俺に安良木は苦笑を浮かべた。
「持ってることを教えるといろいろ煩いでしょ。面倒だから内緒にしているの」
 だからも須釜君も秘密にしといてね、って安良木は笑ったけれど。
 俺はその云い方が冷たいような気がして少しショックだった。それに今の安良木の笑顔は作り物っぽくて、何かを誤魔化されたような気がする。
 なんか……嫌だな、こういうの。
「……六、と。じゃあもし何かあったらすぐに電話してね。プレー中でも出るから」
「ええ、解ったわ、じゃ、行きましょうか…?」
「えっ!」
「どうかしたの?」
 曇りのない黒い瞳に覗き込まれて俺は狼狽えてしまう。
 咄嗟に言葉に詰まった俺を救ったのは、聴いたことのない声だった。
「あ、スガさん!」
 俺は逃げるようにそっちに顔を向けた。つられて安良木も振り返る。
 小学生ぐらいの男の子が寿樹に向かって走ってくる。……なんだ、こいつ、ちびっこにサッカー教えてやってんのか?
 そう思う俺の視線に気付かず、寿樹の目の前で立ち止まると首の痛くなりそうな角度で笑顔を向ける。
「こんにちは、もうすぐ試合なんですけど、足りないんで来てくれませんか?」
「いいよ〜、混ぜて混ぜて。あ、でもその前に」
 間近で見るとやっぱり身長は安良木と同じぐらいで、俺より全然ちっちゃい。
 その割に礼儀正しいので俺が感心していると、寿樹が身体をずらし、俺とその少年の目が合うように仕向けた。
 どうやらこのウドの大木のおかげで、本気で俺たちに気付いてなかったらしい。
 目が合うとびくっとして、それから何故か赤くなった。
「こちらさっき話した桜上水の風祭君」
 中学生かよ!
 思わず三村風ツッコミを入れそうになるのを俺はどうにか堪えた。
 身体的特徴を槍玉に挙げるのはセクハラか苛めだ。
「彼は東京選抜の一員でもあるんだよん」
「えっ!? マジ!?」
 が、さらに続いた驚愕の事実に俺はついに声を挙げてしまう。
「マジで〜す。それでこちらが僕と同じ中学の蓑本さん、それから僕の大事な人であるさん」
「すっげえなぁ、お前、ポジションどこだよ!?」
 俺が興奮して詰め寄ると、何故か風祭は後退り、余計に真っ赤になって「フォ、フォワードです」と落ち着きなく答えた。
「フォワードかぁ、俺もフォワードなんだよな、俺はあったまきて監督の顔面にボールぶつけたせいで落とされたけどさ」
「え?」
 つい口を滑らせた俺の台詞に、風祭がきょとんとする。
「彼女たち今日初めて来たんだけど、女の子って今日来てるかな?」
「あ、それならあっちの……」
 風祭が寿樹の誘導にあっさり引っかかって、奥のほうのフェンスを指す。
「あっちで小島さんたちがやってるはずです」
「サンキュ、風祭、じゃな」
 俺はもうサッカーがしたくてしたくて我慢できなくて、さっさと指し示された方に歩き出した。
「じゃあね、風祭君。須釜君もあとでね」
 安良木もそう云い置いて、小走りで俺の横に並んだ。
「今日は翼さんたちも来てますよ」
「じゃ、あとで挨拶しとこうかな。あ、そうだ」
 多分俺が異様に耳が良い上興奮しまくっていた所為だろう、背を向けても尚も二人の会話が追い駆けるように耳に届いてはいたものの、俺はもうウキウキしていて気に留めていなかった。
なのに。
「僕の可愛い〜悪い男に気をつけてね〜浮気しないでね〜」
 死ね!
 俺は鬼の形相で振り返った。
 犯人を告発するように呑気な顔したアホに指を突きつける。
 人を指差してはいけません、なんてのは人扱いする価値のある奴だけに適用されるべきなんだよ、少なくてもこの宇宙人にその価値があるとは思えん。
「おい風祭! 俺とそいつは恋人どころか友達でもないし近所の顔見知り以下の関係なんだからな! そのバカが何を云っても信じるなよ! そいつは超ド級の大嘘吐きなんだからな!」
 何事かと呆気に取られた人々の視線の中、云いたいことを叫び終えると俺は鼻息も荒く歩き出す。横では安良木が顔を伏せて肩を震わせている。
「…えっと」
「ああ、気にしないで、風祭君。あれは照れてるだけだから〜」
 こんなこと聴きたくないのに、俺の耳は宇宙人の怪電波を受信してしまう。俺は自分の耳の良さを生まれて初めて心から怨んだ。



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