『貴方のご馳走は他人の毒』




「もう時間がないぞ」
が部室のドアを開けたのと、渋沢のその声はほぼ同時だった。
渋沢は未だ練習着のままだった。ドアに背を向けて机に座っている藤代と笠井の横に腕を組んで立っている。
二人に話し掛けながらも、と目が合うとほどけるようにやわらかく笑う。
「でも迂闊に適当なことを書かないほうが良いぞ」
「つーか早くしろよ、何で早くやっとかねーんだよ、時間は在っただろが」
そう云う三上は裸の上半身にタオルをかけて、渋沢と同じように腕を組みロッカーに寄り掛かっている。こちらはをちらりと見ただけで、すぐに苛々と眉間に皺を寄せて二人に視線を戻した。
は二人向かって苦笑交じりの会釈をし、黙って机を通り過ぎ、キャビネットを開けた。
「あーもう!だって俺スナック菓子って書こうと思ってたのにキャプテンや三上先輩がごちゃごちゃ云うんだもん!ギリになってんのは俺の所為じゃないっすよ!」
「てめぇ、自分の怠慢を俺様の所為にするとはいい根性だな、ん?解ってんのか?自分が誰に何を云ってんのか?」
「いたっいたっ!キャプテン、不当な体罰が!」
「いいから真面目に考えろ、藤代。もうすぐ取りに来るはずだ、本当に時間が無いぞ」
手元を忙しく動かしながら、の耳は聴くともなしに後ろで交されている会話を拾っていた。頭の片隅でぼんやりと、ああきっとあれのことだと思う。
サッカーの強豪である武蔵森ならではの、毎年恒例のサッカー部の新1軍メンバーのプロフィール紹介。新聞部が毎月発刊しているその新聞は、このサッカー部アンケートのある7月だけ4倍刷られるという。
もうそんな季節か、とは思う。
去年の渋沢と三上の物が載った時などは、刷った物だけでは足りず、そのページのコピーまでが出回ったほどだ。因みにはその希少な新聞を保存用にと1部余分に、合計2部を力技によって確保した。
「あ〜もう、うまい棒とかかいちゃおっかな〜」
「止めとけ。単価が安いからな、本当に洒落にならん量が届くぞ」
「そうそう。こいつもバッカでさ〜、先輩の話し聞いてたのに馬鹿正直に豆大福とか書いてんの。見たろ?あの埋もれて死ねそうなくらいの大福の数」
脳裏に勝手に 渋沢克郎『サバのみそ煮 豆大福』 という文字が浮かび上がった。
メモに『部誌用ルーズリーフ 2部』、と書き込む。
明日急に2軍が買出しに行くことになったのだ。在る筈だったテーピング1ダースが丸々無かった。ビブスやボールなどは業者から買うのだが、そのような細々とした物は直に購入している。
残りを調べていた部誌を棚に戻しながら、は三上の云う去年の『埋もれそうな大福』たちの姿を思い出していた。
栄太郎等の高級店のものからヤマザキのイチゴ大福といったチープな物まで、ありとあらゆる大福が渋沢に差し入れとして送られた。
むろん、件の新聞の好物に『大福』と書いてしまったが故にである。
あれは凄かった、とはスコアカードの方に移りながら脳裏にその時の光景を思い描いた。渋沢と相部屋且つ甘いものの嫌いな三上は、始末に困った渋沢が松葉寮に持ち帰るか否かで3時間ほど揉めていた。(結局片っ端から配って回り、翌日からは受け取り拒否という処置が取られた)
「それを云うなら三上だってそうだろう?ウニって書いたくせに」
「俺はお前、生モノなら絶対持ってこねぇと思ったんだよ」
背後の三上の声が微妙に苦味を帯びた。
『スコアカード 20部』と書き込みながら、はあれも凄かった、とウニ祭りのことを思い出す。
三上の思惑はある意味正しかった。
さっきと同じように 三上亮『すし(ウニ)』 と脳内で文字が点灯する。
確かに渋沢の大福のように気軽に差し入れられるものではない。なんと云っても生物だ、中には本当にウニの軍艦巻きを持ってきたツワモノも数名居たが、三上はあたるかもしれないから喰えないと冷たくあしらっていた。
何故か勝ち誇っていた三上だったが、3日後事態は急変する。
ウニの瓶詰めを持ってきた更なるツワモノが居たのだ。ついつい三上はそれを受け取ってしまった。後にそれはまさに痛恨の一撃となる。
瓶なら受け取ってくれた!という噂はあっという間に駆け巡り、翌日には脅威のウニラッシュが巻き起こった。三上の元に瓶・缶あわせて様々な産地のウニが続々と集まってきたのだ。4限の時点でこれは拙いと渋沢同様放課後に受け取り拒否のおふれを出すことになった。だが、渋沢のケースで学んだ少女たちはその先回りをして、中身とは不釣合いに美麗なラッピングに包まれた物体を練習中の隙を突き、部室の前に累々と積み上げて去っていったのだ。
の知っている限り、あれほど呆然と色を失った三上にそれ以前もそれ以後も御目に掛かった事はない。
そのウニがどうなったかというと、職員室に振舞われ、部員に一人一個を配ってもまだ残っていたために、(強制的に)この部室で(地獄の)ウニ祭りが開催されたのだった。
はそれからウニが嫌いになった。
「あ〜〜〜〜〜〜〜好きな芸能人とかなら楽なのにな〜〜〜」
「けっ、どっちにしろお前なら悩んでるよ、どうせ」
はキャビネットから部室備え付けの救急箱へと再度4人の横を通り過ぎた。
これはがいつも練習中に持ち歩いているのとはまた別の、救急箱といっても可愛らしいものではなく、40センチ×30センチはあるような大きなものだ。大所帯なために当然のように巨大だ。が、蓋を開くと、やはりぱっと見ただけで相当数減っている。
気付かれない程度の小さな溜息を吐く。
実は備品は練習中の使用による消耗のほかに、むしろ部員たちによる持ち出しによって消費されているケースが多いのだ。丸々なくなっていたテーピングも、使いかけが一個も見当たらないあたり、誰かが一個づつ持ち去ってしまったのだろう。この救急箱のシップやバンドエイドたちも寮に帰ってからの治療の為に大部分がお持ち帰りされてしまったに違いない。
大きな声では云えないが、一軍メンバーの中には補充のための新品のボールさえ持ち帰ってしまうものも居る。例えば藤代の部屋には出所の怪しいボールが2個もあったりする。それどころか実は渋沢の部屋にも三上の持ち込んだものがあるので、これに関して渋沢は沈黙を保っている。
は気を取り直して、右手にペンを握り、左手で中身を浚っていくことに集中した。
「芸能人か……お前なら誰を書んだ?」
「そう云うお前は誰だよ?」
「うーん、そうだな……」
「マジに考えるなよ、アホか」
「じゃあ、本上まなみ」
「あ〜なんか解る気がする。お前ああいうちょっと不幸そうな女好きそうだもんな」
「遠回しに俺を貶してるのか、それは?お前は?」
「キャメロン・ディアス」
「嘘はよくないぞ、三上。本当は奥菜恵が好きなくせに」
「えっ!そうなんすか!?いっすよね〜奥菜恵」
「お前と一緒にすんなよ、あんなの全然好きじゃねぇよ!」
「三上先輩、それ誠二より奥菜恵に失礼だと思うんですけど?」
「じゃ藤代は誰だ、奥菜恵って書くのか?」
「違いまっす!俺は釈由美子っす!超いいっすよねぇ〜」
「釈由美子?聞いたことはあるが、顔まで思い出せないな…」
「ほらやっぱ趣味ワリィのな。俺ああゆう頭悪そうな女ってダメ」
「またそんな事…ファンが聞いたら気を悪くしますよ」
「あと眞鍋かをりと井川遥とモー娘の梨華ちゃんも好きっす!」
「井川遥は悪くないよな」
「ほら〜やっぱ俺と三上先輩趣味似てんですよ〜」
「……ちっげぇよ、馬鹿!お前趣味最悪!ほんっと、最低!」
「だから先輩、井川遥に失礼ですってば……」
「笠井は?」
「……ペネロペ・クルス」
「…………」
「…………誰だ?」
「……なんか微妙にコメントに困んな…シャンプーのCMにも出てる女優。白いドレスでくるくる回ってるやつあったろ?」
「あ!この前、竹己、俺がCMになったからチャンネル変えようとしたらいきなしジャンプでぶったの、もしかしてラックスのCMだったから!?」
「うん」
「笠井は金髪美女がタイプなのか?」
「バカ、ペネロペはパツキンじゃねーよ」
「あ〜もうそれよりほんとどうしよ!ねえねえならなんて書く?」
「えっ!?」
突然名を呼ばれて、はびっくりして振り返った。
好きな芸能人。
化膿止め片手に一瞬考えて。
頭に浮かんだ人物の顔にどうしようかと思う。だが、別にこれくらい構わない間柄だからいいや、という気安さから結局口にした。
「渋沢先輩」
冗談半分、本気半分の匙加減で少々照れながら答えると、4人はぎょっとしたように一様に目を見張ってを見た。
え?と思った瞬間、三上と藤代の大爆笑に部室が占拠されてしまう。
「え?え?なんで?」
た、確かに芸能人じゃないけど、他に思いつかなかったんだもん。が僅かに赤い顔で弁解するより先に藤代が笑い死にしそうだ〜と苦しそうに口を開く。
「す、好きな食べ物、渋沢先輩って……な、なんか、エロい」
「ええっ!?」
も驚きのあまり大きな瞳をより大きくさせる。
慌てて渋沢に目を向けると、何とも云いようのない顔で、伏し目がちに口元を骨ばったてのひらで覆っていた。
あの笠井までも机に突っ伏して肩を震わせ、よほどツボに嵌ったのか、三上は寄り掛かっていたロッカーから身を起してばんばんロッカーを殴っている。
「あっはは、おい、渋沢、はお前が好物なんだってよ。せいぜいたっぷり喰わせてやれよ」
「ちッ、ちーがーいーまーすぅー!!あたしは好きな芸能人だとばっかり…っ」
真っ赤になって抗議するに三上と藤代はさらに笑い転げ、たった5人しか居ないのに部室は酷く騒然となる。そこに遠慮がちなノックの音が重なった。
「あの〜、すいません、新聞部です、アンケート回収に来たんですが…出来てます?」
「ごめ、あ、あとちょっと、待って、今、いまもう最高におかしいこ」
「あーっあーっ云っちゃダメ――!!!」

結局。
藤代のアンケートにはそこだけやけに乱れた筆跡で『ハンバーグ スナック菓子』と書かれ、笠井のものも些か投げやりな字体で『いわし』と書かれていたのだった。