緒方はコーヒーカップを傾けて、砂糖もミルクも一切混じっていない液体を味わった。
片手には英字新聞、目の前にはホテルのモーニングセット。
一月四日なんて正月なのか正月じゃないのか微妙な日付の所為なのか、客はほんのまばらにしか居ない。
スーツ姿で時間を気にする様子もなくホテルで朝食をとる姿は傍目には極めて優雅なビジネスマンに映ることだろう。
だが現在緒方がその平均よりも怜悧な頭脳を働かせているのはダウ平均株価のことではない。何故自分は朝食を取ろうとしないかという非常に私的な傾向についてだった。
蜜のようなほんの短い間、が緒方の家に居た時はその付き合いで朝も食事をした。は三食きちんと取るタイプだったからだ。
そのが消えてからは元の木阿弥で、それどころか主食が酒な日々が続いたこともあった。
だが今はは手元に戻ってきた。東京に出てくるのは来年で、名古屋と東京という相変わらずの遠距離だが去年の今頃と比べれば雲泥の差だ。
リーグ戦の方は現在進行形で行われているものの、直ぐ眼前に大手合いはない。食事を遠ざける原因となりそうな精神的負荷はこれといって見当たらない。
面倒くさいから、今回はこれは通じないだろう、目の前にホテルのシェフが用意してくれたものがあるのだから。
なら、喰う気がしない、結局はこれか。
健康のことを考えれば朝食を取った方が良い、なんて台詞は耳にタコだ。同種のものにアルコールを控えろというのもあるが、云われる度に反抗期の中学生のように余計酒を飲み干したくなる。つまるところ自分は健康が嫌いなのだろう。
緒方はカップをソーサーに戻すと、銀のフォークを手に取った。英字新聞を開いたままの行儀の悪さで、未だ左右対称のままのラグビーボール形を保っているプレーンオムレツのどてっぱらに穴を開けてみる。
殆ど固まってしまったその隙間からゆっくりと薄い卵黄液が溢れてきた。
残念ながらあまりおいしそうには見えない。
出された直後の半熟状のものに同じ行為をしたなら、もしかして少しは食欲がそそられたかもしれない。
けれどもオムレツにフォークを突き入れる気になったのは現在の緒方であって、30分前の緒方ではない。運ばれてきた直後はそんなことさえする気にならなかった。
英字新聞をたたみながら、グレープフルーツジュースに手を伸ばす。結果的にモーニングセットで口をつけたのはこれだけだ。
左腕に視線を落とす。そろそろいい頃合かもしれない。
健康的な朝食は叶わなかったが、適当な暇潰しにはなった。
オムレツの皿を押しやり灰皿を手前に置く。
火を点けて、煙で肺を満たす。
朝食が終わったら、ここを出よう。
緒方は自らにとっての『朝食』を深く吸いこみ、美味そうに瞳を細めた。
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