緒方は約束の8分前に到着した。久我山も5分前には到着した。
お互いせっかちな性分らしい。
案内をしてくれたウエイターに軽く手を上げて謝辞を示すと、グレイのスーツ姿の久我山は緒方の前の席に腰を下ろした。
「で?」
挨拶をすっぱ抜かして緒方は問うた。
久我山は大袈裟な動作で呆れたように肩を竦め、焦らすようにウエイトレスを呼び寄せて珈琲を注文した。
「相変わらず無礼者だな、呼び出しといて労いの言葉も云えないのかよ?」
ウエイトレスが去っていくとどさりと背凭れに背を預ける。緒方同様、ヘビースモーカなのか流れるような仕草で煙草を取り出し、火を点けた。銘柄はラッキーストライク。尋ねたわけでもないのに、嗜好や価格ではなくただその響きだけでこの男はその銘柄を選んでいるに違いないと緒方は確信している。
「おまけに何でホテルなんかに呼び出すんだよ、スタバでいいじゃねぇか、スタバで」
「ああいう店はガキが煩くて好かん」
「ホモの逢引と思われるよりマシ」
久我山は自分で云って自分で笑った。珈琲が二つ運ばれてきた。だがふたりとも手をつける気配はない。
「で」
「で?」
おどけたように久我山が緒方の真似をする。じろりと睨むと「解ったよ」とホールドアップし、スーツの内ポケットからA4板の封筒を取り出した。
「ほんとはこういうのは民間人に見せちゃ駄目なんだよなー。どうしよ、この現場をパパラッチされたら俺、首飛ぶね」
「いいから寄越せよ」
緒方は久我山の手から封筒を奪った。
封はされていない。中から数枚の紙を取り出し、即座に視線を走らす。
「熱心だねぇ、緒方君」
にやにやと歪んだ唇に咥えられた煙草が行儀悪く上下動している。
こんな男だが久我山は警視庁勤務の所謂キャリア組だ。
緒方がに云った『知り合い』とはこの男のことだった。
プロ試験に合格したのは中学生の時だが、緒方は高校に進学している。親の勧めもあったし、自分が本気で碁プロになりたいのかも解らなかったからだ。
だが結局学校は碁より魅力あるものを緒方に示してはくれなかった。
結構な進学校だったが、緒方は大学受験をしなかった。真剣に碁の道に入った。
久我山はその高校での同級生に当たる。
学校に在籍していた時に口を利いた記憶はない。ただ順調に学歴社会のレールの乗って大学を出た奴らが新社会人となって2、3年後くらいの時期、その頃開かれた同窓会で再開したのがつきあいの切っ掛けだった。
他の同窓生が医者、弁護士、外資系銀行、といった職業でそれぞれ群れを作り、情報交換に勤しむ中、それをさもくだらねぇと思っているのがみえみえの顔でグラスを煽っていたのが久我山だった。
お互い堅気の職業に就いてないのを一発で見抜き、異分子同士さっさと会場を後にしたのが始まり。
それ以降、年賀状は出さないくせに年初めには何だかんだ云ってお互いどちらからでもなく酒を飲みに行くという、微妙な交友関係が継続している。
「写真見たけど可愛かったもんなァ、あの子。自分が高校生の頃は別に何とも思わなかったけど、セーラー服ってエッチだよなームラムラするよなー」
「貴様ロリコンだったのか?」
紙束を元通りに仕舞った封筒を緒方がテーブルに投げると、それをポケットに戻しつつ久我山は不服そうに身を乗り出した。
「ちげぇよ、日本の男は皆潜在的にロリコンなんだって。お前だってほんとはなっちとかあややとかカワイイと思ってんだろ?」
「どこの野生動物の話だ?そんなことより使えないな、お前は。それだけ解ってて何故捕まえない?」
「バッカ、お前日本の警察はユルイからこんな程度じゃ逮捕できねぇんだよ、この調書にしたってプライバシーの侵害ギリギリなんだぜ、状況証拠的にはあのお嬢さんの部屋を荒らしただけで金目のもんを盗っていかなかった線から見て犯人は奴しかいねぇ、でもそんなんは可能性だ、裏がない、イコール逮捕できない、なのに奴の個人情報を洗った、しかも民間人に情報を公開しちまった、ハハ、バレたらマジ首だわ、俺」
喋るだけ喋ると久我山はどさりと身体を元に戻した。
「指紋と筆跡が残っている」
「逆だ。櫻田には逮捕暦がない、会社のデータにゃ照合する為の櫻田の指紋がない、つまり逮捕して初めて指紋採取だ、アホレターにしても同じ、順序が逆なんだよ」
「本当に役に立たないな」
緒方は容赦なく切り捨てた。思い当たることがあるのか、久我山は反論することなく苦笑しただけだった。
「まあとにかく現行法じゃ現時点での逮捕は無理だと思ってくれ」
緒方は溜息を吐いた。これは久我山へのあてつけでも何でもなく、本心から漏れたものだった。
一昨日のあの日、緒方は携帯からすぐに警察に電話をかけた。簡単な指紋採取と被害確認の後、それから所轄署で被害届を提出した。
その場でも櫻田しか犯人は居ないのに、確たる証拠がないから逮捕は出来ないと云われた。久我山なら新しい情報を引き出し、さらに状況を打開してくれるのではないかと期待したのだがやはり甘かったようだ。
「なあ、あの子、今どうしてんだ?あのアパートに帰ってんの?」
「いや、ホテルを取ってやった。今引越し先を当たってる」
緒方が微かに首を振ると、久我山は頭の後ろで指を組みにやにやと笑った。
「なんだよ、お前んとこ部屋余ってんだろ、お前んとこに住まわせてやりゃいいじゃねぇか」
「常識がないのか貴様は」
緒方が睨むと益々久我山はにやにやと笑いを深めた。全くキャリア官僚には見えない。現場のノンキャリと同等か、それ以下だ。
「なんでさ〜?俺はただ住まわせてやれば?って云ってるだけじゃん。別に拙いことなんかないだろ、それとも何?お前自信ないの?駄目?我慢できなくて無理矢理押し倒して喰っちゃう?」
「その下品な口を閉じろ、馬鹿め」
久我山がまた一人で勝手に笑う。
「違うの?俺ァ、てっきりお前が紫の上計画やってんだと思ったんだけど。だってお前必死じゃん。俺に頼みごとするぐらいなら首吊って死んだ方がマシってツラしてたのにいったいどういう心境の変化なのかなぁ〜」
緒方は何気ない仕草で珈琲に手を伸ばした。
砂糖もミルクも加えないまま、冷たくなった珈琲を舐める。
「……もう一度云うぞ。常識がないのか、お前は。彼女はいくつだと思っている?おまけに内弟子のようなものだ、そういう関係で手を付けたら周囲が何を云うかも想像できないのか?」
久我山も手を下ろすと、緒方を真似て珈琲を啜った。けれど苦さか拙さか、あるいはその両方に顔を顰め、すぐにカップを下ろした。
「あっそ……面倒くせぇ男だよな、お前って」
さて、と呟いて久我山は勢いよく身体を起こした。当たり前のように緒方に奢らせるつもりのようで、伝票を一顧だにしない。
すれ違い様に久我山は身を屈め、置き土産を囁いていった。
「たまには下半身で恋愛したら、お前?」
ごっそさん、と反論を断ち切るように告げて、大股で歩き去って行く。言動は兎も角、久我山は間違いなく有能な男だ。多忙な身のはずなのに緒方の我侭に付き合い、櫻田の情報を調べてくれたことは素直に感謝した。
だが最後の台詞は何なのだ。
会う度に思う。何故自分はこいつと縁を切らないのだろうかと。
緒方はまるで我慢比べのように、眉を顰めながら再度珈琲に口を付けた。









緒方はエレベータを降りて、ゆっくりと視線を巡らせた。いつもは開いた瞬間目に飛び込んでくるセーラー服が見当たらなかったからだ。
慎重にそこに居る人間を識別していったのに、やはりの姿はなかった。
壁に掛かった時計は5時11分を指している。
約束の時間は5時15分、まだ遅刻と決まったわけではない。は緒方との約束を破ったりしたことはなかった。
緒方は灰皿に向けて歩き出した。その背後でエレベータの到着を知らせるチャイムが鳴った。
「あ、緒方先生」
振り返る。投げ掛けられた声でではないのは解っていた。
「丁度良かった。今いらしたんですか?」
四十路も終わりに差し掛かったぐらいの事務員の制服を来た女が微笑む。顔は知っているが緒方は名前までは知らなかった。
灰皿に向かいかけていた脚を引き返して、女に歩み寄る。
「私に何か用ですか?」
「いえいえ、御用というわけじゃなくって、伝言がありますの」
女がまた笑う。
そして『誰にも云わないから安心してね』という押し付けがましい好意の透けて見える仕草で囁く。
「うふふ、先生、さんとここでお約束なさってたんですって?でもさん、急に指導碁のお仕事入っちゃって、今日ここには来られないから先生にお伝えしてって、私、電話で頼まれ……」
瞬間、脳内に火花が散った。
「どこだそれは!?」
緒方の大声に女が目を丸くする。
横の一般対局室から送られる何事かという複数の視線を、ぴりぴりと急速に緊張し始めた肌が感じとる。
「え、あ、そこまで聞いてないわ、上の事務所に戻れば解ると思うけど……」
緒方は最後まで聴かずに身を翻した。
4階の踊り場から飛び出すと、偶々そこを通りがかった男性事務員とぶつかりそうになった。咄嗟に身を躱して「失礼」と呟くと、緒方は再度駆け出す。
勢い余って受付の机に膝蹴りを入れてしまう。ごん、という音に机に向かって真剣に仕事をしていた連中が驚いて一斉に顔を上げた。
の指導碁を指名してきた奴を教えてくれ」
一番受け付けの傍にいた、ほんのこの間まで学生をしていたような若い事務員がきょとんとする。「早く」と低い声で囁くと、慌ててファイルを漁りだす。
「ええと、ええっと、あ、えーと大田しげ…」
「貸してくれ」
緒方は腕を伸ばしてファイルを奪った。
居た。
大田シゲル。
偽名だ。賭けてもいい。
0.1秒でそう思う。
何故ならその名前の横に書かれた住所。
それはついさっき久我山に見せてもらった櫻田の住所と同じだった。
最悪だ。
緒方は「ありがとう」という言葉を告げながら、すでに身体は背を向けていた。
舌打ちをする余裕さえない。
階段を駆け下りると、さらに駐車場まで走った。キーを差し込んでろくに安全確認をしないまま路上に出る。タイヤが悲鳴を上げるが無視してさらにアクセルを踏み込む。
ハンドルを操りながらの携帯を鳴らしてみる。
数回のコールの後クソ忌々しいアナウンスが流れだした。腹立ち紛れに助手席に向かってぶん投げた携帯は、跳ね返ってシートの下へと転落していった。
2日前のあの日もは緒方を頼らなかった。
警察官の質問にも一人で全部答えた。真っ青な顔でそれでも背筋を伸ばして一人で立って、横に居る緒方の腕を求めることをしなかった。
緒方から少しずつ離れて自立しようとしている。
多分、それは良い傾向であり喜ぶべきことなのだ。
それなのに。
腹が立って仕方がない。
は馬鹿だ。何故この時期に不用意に指導碁の仕事を受ける。事情を話して自粛してもらうようにすればよかった。それか緒方に相談すればよかったのだ。
だがもっと馬鹿なのは緒方だ。
後手後手に回った。だからあんな小僧ごときににこうして出し抜かれて切羽詰った状況に突き落とされた。が馬鹿なのではない。これはを情緒不安定にさせたままやり過ごそうとした己の汚さが招いた事態だ。だって今でなければもっと的確な判断を下したのに違いない。
責任は全て緒方に在る。
もしに何かあった場合の。
何か―その言葉に背筋が冷たくなる。
哀しいかな、極限の状況だからこそ思い知ることがある。

切り捨てなければと思うこと自体、切り捨てられない証拠なのだ。

両手でステアリングを握り、緒方は前方を睨んだ。
指定されていた時間は5時半。
ここから櫻田の住所までは約20分ほどか。
唇を噛むとさらにスピードを上げた。






人を轢いていないのが奇跡と云うしかない運転だった。予想より5分は早い。
エンジンを切るのももどかしく、緒方は蹴飛ばすようにドアを開けると古いアパートの階段を目指す。
鉄の階段、駆け上がるその途中に白いミュール。
胃の辺りが焼けるように熱を持つ。
さらに一段飛ばしで上った先、上りきる前に一直線に視界が開ける。
直線上にひとつだけだらしなく風に揺れている木製のドアがあった。
中を確かめるだけ時間の無駄、緒方の頭の中でパズルのように今の状況が組立られる。
今度は逆に一段抜かしで駆け下りる。
アパートに面した道路に逆戻り、闇雲に首を振る。いったいどちらには逃げたのか。
容赦なく押し寄せる不安が歯止めを焼き切っていく。
「っ………―――!!」
緒方は吼えるように叫んだ。
返事はない。
考えろ考えろと自分を追い立てる。
なら、いや普通の人間なら身に危険の迫った状況でどういう行動を取るか。
階段を振り返る。降りてすぐに道を塞ぐように数台の自転車、だがよく見るとその向こうに裏に続く細い路地があった。路地には一見して障害物はない、しかも邪魔くさい自転車より手前にその路地は在る。
緒方は踵を返し、自転車を突き飛ばすようにその路地に突っ込んだ。
路地の突き当たりはコンクリートのブロック壁、その左には向かってさらに直角に曲がる細い通路。その中程にブルーのポリバケツが倒れていて、まるで今し方蹴倒されたような臭いが鼻をつく。
緒方は生ゴミと思しきビニルを踏みつけ先を急いだ。路地の終点には今度は鉄柵門、開けっ放しになっていたその向こうは車一台分がやっとというくらいの道路だった。
一歩踏み出てすぐ、女物と思しきジャケットが不自然に落ちていた。
思わず拾おうとして、緒方は手を止める。
幽かな悲鳴。
高感度センサーのように緒方の耳はその音を捕えた。
――!」
叫ぶ。返事の変わりに解析不能の悲鳴。
!」
緒方はもう一度叫ぶ。頭で考えるより先に身体が動いていた。どこを目指しているのか自分でも説明できないまま、それでも確実に一箇所目掛けて脚は駆けて行く。
服が落ちていた、悲鳴が聴こえた、そう距離は離れていないはず。
冷静な判断というよりは希望をより多く孕んだ緒方の推測は、果たして的中した。
突き当たりの左。
数十メートル先。
植え込みの辺りで揉みあう影。
脚を止め、緒方は息を漏らした。
間に合った。
そう思った次の瞬間、呼吸が困難になるほどの熱が肺に充満した。
肺だけじゃない、胃も、心臓もその熱に真っ直ぐ犯されていく。
その熱に動かされるままに緒方は口を開いた。
「櫻田ァ!」
怒りという名の熱に炙られた声。
まるでそれ自体が凶器のようにその背に突き刺さり、名を呼ばれた青年は滑稽なほど身を震わせた。
蹲ったの右手とカットソーの首の辺りを掴んだまま振り返る。暮れかけた空の下、見え難いはずなのに櫻田の顔が酷く強張っているのが解った。
緒方は止めていた脚を動かした。
そうやって歩きながら少しでも呼吸を整えた。けれど整えたそばから怒りの為にまた呼吸は荒々しく乱れる。
近付いてくる緒方と足元のを忙しなく見比べ、結局櫻田はから手を離した。
そしてポケットに手を突っ込む。
再び現れた櫻田の手にはナイフが握られていた。小さなバタフライナイフ。それをおどおどとした不慣れな仕草で開き、両手で構え緒方に向けた。
緒方は笑った。
武器を持つことの弱さ。
逆説的だが、目の前の櫻田はまさにそうとしか云いようがなかった。恐れることなく歩みを続ける緒方に、櫻田の方が怯む。
緒方はナイフを下ろせなどと決して云わなかった。それが反対に櫻田を迷わせた。腰が引けた。一歩下がった。だが緒方は考える時間を与えることなく、距離を詰める。
残り1メートルまで迫ったところでついに櫻田の緊張の糸が切れた。
逃げたいのか闘いたいのか、酷く中途半端な姿勢で獣のような声を上げ緒方に突進する。
磨がれたナイフ。
禍々しい煌きが尾を引く。
だが不思議と恐怖はなかった。
そんなものとっくに焼き切れてる。


緒方は身を躱した。簡単だった、一歩後退すればそれで済んだ。脇腹を横切るナイフ。
続く櫻田の腕。
緒方はその手首を掴む。もう片方の手でシャツの胸倉を握り込む。
膝を屈める。同時に櫻田の懐に潜る。
跳ね上げる。
「ぐぁ…っ…!」
受身をすることも出来ずにコンクリートに背中から落とされた櫻田は苦悶の叫びを上げ、芋虫のように膝を丸めようとした。
だが緒方はそれを許さず、縮こまろうとする身体を無理矢理仰向けさせる。さらに腕を交差して櫻田のシャツの襟を掴むと、容赦なく締め上げた。
繊維の裂ける音。櫻田の喉の奥で苦しげな声が絡みつき、短く刈り込まれた爪が緒方の手の甲を引っ掻く。
だがその抵抗もほんの数秒しか持たなかった。
頚動脈洞反射を起した桜庭の身体から一気に力が抜け、がくりと首が落ちる。
緒方はそこで漸く櫻田から手を離した。
肩で息をしながら、身を起す。
振り返り、そこで初めて緒方はを見た。
汚れることも厭わず座り込んだ身体。その左手は縋るようにコンクリートの脇の雑草を掴んだままだった。
さっき櫻田が掴んでいた首の辺りの生地はどうしようもなく伸びてしまって肩口まで垂れ下がり、折れそうな鎖骨が丸見えになっている。
乱れた髪、その隙間から覗く大きな瞳。の瞳。
瞬くことも忘れたような無表情でこっちを向いている。
弛緩した櫻田を跨ぎ、緒方はへと脚を進めた。その途中に落ちていた櫻田のナイフをついでのように草叢に蹴りこんでおく。
それら一連の動作を目にしているはずなのに、今だはまだ呆然と地べたに手を突いている。
緒方はの前に立つと、彼女を見下ろした。
そして吐き捨てる。
「お前といると本当に苛々する」
その瞬間、緒方の言葉にの眉が歪んだ。
「何なんだ、お前は。面倒ばかり起してしかも俺を巻き込む。いちいち俺を掻き乱すのを止めてくれ。迷惑だ」
労わりの欠片もない言葉。
の酷く傷付いた顔。
その表情が緒方の中の最後の縛めを焼き切った。
少なくとも吐き捨てた台詞は本心。
嘘は語っていない。語られていない言葉が透けて見える奥底に存在するだけだ。
衝動のまま優しさの欠片もない荒々しさでの腕を掴み、吊るし上げるように立たせる。
怯えるの顎を乱暴な仕草で捕らえると緒方はその唇を奪った。







「…………ん……、んっ………あ……」
中学生でもあるまいし、時折歯が当たってかちかちと鳴った。
やわらかな身体に楔のように己の腕を喰い込ませ、緒方はを奪う。
抱擁と呼ぶには余りにも暴力的。
漸く自分勝手な口付けを終わらすと、緒方は浅い呼吸を繰り返すの唇を指の腹で拭ってやった。
捕われた胸に凭れ、整わない呼吸の下、それでもが懸命に顔を上げる。
驚きと期待と恐れと歓びが複雑に混じり合い鮮やかにを彩っていた。
緒方の真意を捜すその瞳は濡れてきらきらと光って見える。
緒方はそれにとても満足を覚えた。
理性など焼き切ってしまえば残るのは罪悪感などではなく、快楽だけだった。
「…先生……?」
「しばらく黙ってろ」
緒方は再び頬を傾けた。
今度はもゆっくりと目を閉じる。
こんなことをしてる場合じゃないのは解っている。
車はキーを挿したまま放置してある。
櫻田が目を覚ますかもしれない。
警察に電話もせねばならない。
解っている。
解っているのに緒方は、その行為を止めることが出来ない。
滑るように胸を辿り、の華奢な腕が緒方の首を抱き締める。
黙っていろと云ったのに、啄ばむように合わせた唇の下、がこれまでも何度も繰り返した台詞を紡ぐ。
その言葉に煽られた緒方は結局優しくすることを諦め、より深くの唇を貪った。