「先生、デートしましょう!」
「断る」






          
≪02 ambivalence≫






「ええー!!どうしてですかー!?」
物凄く意外なことを云われた、とばかりにが大袈裟な声を出す。緒方は煙草の煙を吐き出すことで溜息を押し殺した。
「どうしてもこうしてもないだろう?何故、俺が、君と、デートなんかしなくちゃならん?」
嫌味たらしく一語一語区切って云ってやってもはたいして堪えた様子もなく、唇を尖らせて上目遣いに緒方を見上げた。
「私が先生のこと好きだからです。それ以外理由なんてないじゃないですか」
さも当然とばかりには云い放つ。
緒方は最後の煙を吸い込むと煙草を灰皿に押し付け立ち上がり、を置き去りにしてエレベータに向かって歩き出した。そこに留まっていたのか、ボタンを押すとすぐさま空っぽのドアが開いた。
「あ!先生、待ってくださいよ!」
閉まりかけたエレベータにが猫のようにするりと乗り込んでくる。
君、君、危ないだろ?挟まれたらどうするんだ」
「だって先生置いてっちゃうんだもん」
苦々しい口調で注意してもあっさりと云い返してくる。セーラー服姿のは、今度はきまぐれになにやら鞄を漁り始める。再度吐きそうになった溜息を緒方は飲み込んだ。
最近溜息を吐くことが多くなった。
吐く原因を拵えてくれるのは紛れもなく目の前の小娘だ。それに気が付いてからは極力溜息を押えるようにしている。この小娘の所為で自分が何か一つでも変えられてしまうことが酷く屈辱的なことに思えるからだ。
「あ、ありました。じゃーん、先生、見て見て」
が嬉しそうに封筒を突き出す。
緒方は冷めた視線でその封筒の表書きを眺めた。
の名前が手書きで、それから下のところに某雑誌出版社の社名と住所が印刷されている。全く無反応の緒方を気にすることなく、は笑顔でその封筒に頬を擦り寄せてみせる。
「えへへ、この前ねー、取材されちゃったんですよ。女子高生棋士!とかいってー。取材料とかいってお金を頂けちゃって。別にたいしたことない、ちっちゃい記事なんですけどね、封筒開けてみたらびっくりですよ、結構いい金額が入ってたんです。だから先生、私なんでも奢りますからデートしましょ?」
「ガキに奢ってもらうほど零落れちゃいない」
ちーん、という音と共にドアが左右に開く。開くと同時に緒方は外に出た。
「先生待って待って!」
また大きなスライドで一人歩いていこうとする緒方の腕に、がぶら下がるように縋り付き引き止める。
正面には玄関、おまけにロビーの周囲には棋院の関係者を含め大勢の人間が居る。は構わないかもしれないが、緒方は構う。流石に露骨に嫌な顔を作った緒方は仕方なしに立ち止まって、その腕を解こうとした。
君、放したまえ」
「先生、賭けをしましょう」
「何?」
突然何を云い出すのだ、この小娘は?
「あれ」
僅かに眉を顰めた緒方の腕を片手で捕えたまま、今さっき自分たちが降りたばかりのエレベータを指差す。
「あれ。あのエレベータで次に最初に降りてくるのが男の人か女の人かどうか賭けましょう。私が勝ったら先生は私とデート」
緒方はつい鼻で笑ってしまった。
そんな賭けに乗るとでも思っているのだろうか?
だとしたら何て幼稚な愚かさなのだろう。
自由奔放で望めば叶うことを疑ってもいないようなその態度、のそういうところが緒方は憎らしい。そういう仕草を目の当たりにした瞬間、この世の中のどす黒いもの全てをその清らかな眼球に突きつけてやりたい衝動に駆られる。
口元に冷笑を刻みながら、緒方はジャケットに皺を生み出してる原因を取り除くために手を伸ばした。
「断る。さあ、いい加減放してくれ」
「先生が勝ったら、私二度と先生に近付かない、生きてる限り二度と好きだって云ったりしない」
ジャケットを握る指を開かせようとして思わず動きを止めてしまう。
綺麗にオーバルに整えられた爪から視線を上げ目を合わせると、大きな瞳をきらきらと光らせながらが真っ直ぐに緒方を見ていた。
「本気です。嘘は嫌いです、私は」
数秒そうやって視線を合わせて。
結局緒方は停止させていた動作を再開させて、の指を抉じ開けた。は抵抗せずに、大人しく指を開いてく。ただ失望したようにその表情は硬い。
「……君が不正をしていないって保証は?」
唇を噛みしめ、空になった手をもう片方の手で握りしめていたがぱっと笑顔を作る。
「そういう卑怯な真似も嫌いです、私。でも先生が信じられないようでしたら、次じゃなくて2回先とか、9回先とか勝負を何時にするか決めてくださって結構です」
「面倒だから次でいい。さて……俺は男が降りる方に賭ける。解っているな、棋院の利用者は男の方が多いって」
「ええ」
「いいだろう。やろう」
胸の前で指を組んでが微笑む。
緒方も灰皿の方に移動しながら皮肉げに微笑む。
「云ったことは守れよ。俺は有言不実行な奴が一番嫌いだ」
「ええ、私も大っ嫌いです。気が合いますね」
煙草を取り出して火を点ける。
がその仕草を瞳を細めて見つめているのを感じながら、緒方は5メートルほど先のエレベータの表示ランプを眺めた。
今は5階のところにランプが点滅している。下りの表示になっていることだし、煙草一本吸い終わる前にこの勝負は決着がつくだろう。
ランプの点滅が4階に移った。
「確率の問題を知っているか?」
「はい?ええ、はい、知ってますよ?」
3階。
緒方は煙を吐き出した。そういえばは緒方が煙草を吸っていても全く頓着しない。制服に煙草の臭いが移ったら拙いだろうに、今も一向に気にする素振りはない。
「約束は約束だ。泣いても喚いても俺は守らせるぞ」
「ええ」
2階。
「自分を無謀だとは?」
「思いません」
そのきっぱりとした声にランプから視線を外し、緒方は横目でを見下ろした。
は笑っていた。
凍えた眼差しに怯えることなく、やわらかい笑みを浮かべ優雅に首を傾ける。
聞き慣れたちーんという音と共にドアが開いて行く。
「だって多分私が勝ちますから」











愛車を片手で操りながら、緒方は半分ほど下げた窓の淵で煙草の灰を払った。白灰色の粉は風に融けてあっという間に飛ばされて行く。
口元に戻した煙草のフィルターには薄っすらと歯型の跡。
それは現在の緒方の心情をよく物語っていた。
「先生、あれなんです?ホテル?」
「世界貿易センタービル」
「あ、じゃあそっちに見えてきたのは?」
「東京プリンスホテル」
そっけなく答えながら、ホテルを通り過ぎハンドルを右に切る。
遠ざかっていく緑に囲まれた白亜の建物をがわざわざ身体を捻って目で追い駆ける。その表情は非常に楽しげだ。
車内に侵入した風がの髪を散らし、ギアにかけていた緒方の手の甲を優しく打った。腰のないやわらかなその髪の感触が益々苦い気分を誘う。
緒方は賭けに負けた。
確率から云ったらの方が分が悪かったはずなのに、あの時エレベータから降りて来たのは女性職員たった一人だった。残念ながら自らの発言により、緒方には賭けを反故にするという選択肢は存在しない。
おかげでこんな日光が燦々と降り注ぐ真っ昼間から小娘とデートだ。いったいこんな時間帯に女と出かけるなんて何時以来のことだろう。だが下心の抱きようのない人物相手のこれが果たしてデートと呼びえるのか。
緒方にとってデートとは緒方の欲するものを奪う代償として支払う対価だった。今日一日費やして緒方に得るものは無い。例えが差し出してきたとしても受け取るつもりは毛頭ない。だとすればこれはデートではなく、子守りだ。
慈善事業をやる自分なんて、最低だ。
人に指摘されるまでもなく似合わないことを一番緒方自身が知ってる。
車の向かう先には脳天気に真っ赤なタワー。
の提案してくる頭の痛くなるようなデートプラン中(緒方にしてみればあくまでベビーシッター)、緒方にとって最も苦痛の少ないのが東京タワーに行ってそれから夕食を、というものだった。
他には渋谷に行ってキハチやパステルに行く(そんなもの喰えるか以前にそんなとこに行きたくない)というものや、レインボーブリッジ(真っ昼間に、しかも相手が小娘でそんなところで何をしろというんだ)等、嫌がらせかと疑いたくなるほど緒方的にはどれもこれも首を縦に振りかねるもののオンパレードだった。
せいぜい譲歩した結果がこれだ。
唯一の救いはがそれほどガキ臭い格好をしてこなかったことだろう。
ミュールにブルージーンズ、アンサンブルニットと手には小振りの籐のバック。もともと凛と整った顔立ちをした娘だ、ぎりぎり大学生とも云えなくもない。
緒方自身もなるべくつりあいの取れそうな服を選んだつもりだが、がもしスニーカーでも履いてこようものならさらに気が滅入ったに違いない。恋人同士扱いされるのも癪だが、それでもシスコン・ロリコン扱いされるよりは恐ろしくマシだ。
「先生は東京タワー今までに行ったことあるんですか?」
「ない」
徐行して、パーキングの列に並ぶ。
満車の表示は出てないが、それでも空きスペースの方が断然少ない。自分のことを棚に上げて世間には暇な奴が居るもんだと、緒方は瞳を眇めてその車列を眺める。
「わーい、じゃあおそろですね。東京タワーって蝋人形館とかもあるんですよね、展望台上ったらついでにそこも行ってみません?」
緒方はさっきから単語でしか会話をしていないのだが、は気にした素振りもなくその返答にはしゃぐ。
「却下。興味がない。時間の無駄だ」
「ええ〜?面白いと思うんだけどなぁ。大体、先生何なら興味あるんです?」
パーキングチケットを引き抜きながら、また緒方は酷く簡潔な返事を返す。
「碁」






「うわあ……」
エレベータが開いた途端、まさに目に飛び込んできた風景にが目を丸くする。そのまままるで引き寄せられるかのような足取りで突き進み、ぺたりと窓ガラスに両手を付く。
緒方とが上がったのは東京タワーの大展望台の2階だ。緒方は長居をする気も無かったので、カフェではない2階の方を選んだ。はカフェにも未練がありそうだったが、口に出しては何も云わなかった。だがこの後姿を見た限り、もうケーキのことなど頭から消し飛んでいるのだろう。
高所恐怖症の人間なら失神してしまいそうな高さだが、はむしろ高いところを好む性質のようだ。やがてゆっくりとした足取りで反時計回りに歩みだしたが、視線は喰い入るようにガラスの向こうに固定させたままだ。
一人残された緒方は適当に人気のない場所を選び、30センチほどはある手摺に肘をついて凭れた。
眼下に見える緑、あれはちょうど紅葉山公園だろうか。
視認したことに対して無意識に分析を加えながら、と違い、大した感慨も抱けずに緒方はまったく別のことに思いを馳せていた。
「先生」
呼びかけられ、振り返るときらきらと瞳を濡らしたが自分を見つめていた。
どうもは興奮すると涙の分泌が増す体質らしい。最近それに気がついた。今も薄い水膜が光を反射して揺れて光る。大概の男、例えば芦原あたりならこの目で見つめられたらすぐにオチそうだな、と緒方は無表情の奥でそんなことを思う。には可哀想なことだが、生憎緒方は大概の男の外に居る。
「先生、ずっとここに居たの?見て回らなくていいの?凄くキレイ。私、こんな高いところ上ったの初めて。もったいないよ」
よっぽど気に入ったのか、興奮気味のは完全に敬語を忘れている。だが別段それで緒方が気を悪くすることはない。そんなのは今さらだ。気を悪くするというなら、とっくに悪くしている。
緒方はの顔から視線を外し、僅かにガスがかって曇っている景色に視線を戻した。
「悪いが君のように景色が素晴らしいと感じる情緒を持ち合わせていない」
ここに来て緒方が思ったのは、タワーの鋭い二等辺三角形が碁界のヒエラルキーとよく似ているということだった。
プロ、つまりこの大展望台の位置にまで上がれるのはほんの一握り。趣味の範囲にしろアマにしろ、殆どの人が眼下に広がる在野で蠢いている。タイトルホルダーとなってこの上の特別展望台の高みに行ける人数はさらに収斂されていく。
要するに自分はまだ誰かから見下されているのだ。
自分がまだ辿り着けない高みから。
人生においてこれ以上胸糞の悪いことがあるだろうか?
「見下ろすどころか、見下ろされてることを実感して不愉快だ」
その言葉の指す所を悟っているのかいないのか、緒方の言葉にが小さく笑う。
「先生、ワインが半分ボトルにあったらまだ半分あるって思うんじゃなくて、もう半分しかないって思うタイプでしょ?」
また散策に行くのかと思っていたのだが、は緒方の横に並び、同じように手すりに肘をついて下を覗き込む。
「行かないのか?」
少々意外に思って問い掛けると、はふふ、と目を細めた。
その表情は一瞬だけ緒方に女を感じさせた。
「景色も好きだけど、先生はもっと好き。だから先生と一緒に居る」
一度視線を景色へと外し、緒方は自らに禁じていた溜息を吐いた。
肘を起こし、真っ直ぐに立つと威圧するようにを見下ろす。
君、前から云っておかねばと思っていたが、人前でそういうこと云うのは止めたまえ」
「そういうことって?」
がきょとんと首を傾げる。
その仕草に緒方の口調が強まった。
「今君が云ったことだ。俺のことを好きだとかいうのを止めろと云ってる」
解らない、と云いたげに長い睫毛でが大きく一つ瞬きをする。
「どうしてですか?」
「どうして、だと?本気で云ってるのか?」
擦れたような低い声が漏れた。
思わず緒方は瞳を眇めた。殆ど睨むような視線にもは臆した様子もなく緒方を見返す。大人気ないと罵られようと、緒方にしてみれば厚顔無恥とも思えるその態度は十分叱責に値するものだった。
「だって、どうして駄目なんです?」
「君はもうプロだろ?いずれ俺と君の対局もあるかもしれない。そうなった時、もし君が俺に負けたら、周りは君がわざと俺に負けたと考える。それが実際純粋な勝負の結果であったとしても、だ。そんなことも解らないのか?」
言外に軽蔑の色さえ滲ませて吐き捨てた。
なのには怯むことなく緒方の目を見上げたのだ。
「どうして勝負と恋愛を一緒に考えるの?全然違うのに」
緒方は面食らって言葉に詰まった。
それが正論だからだ。
本来なら全く次元の違うことだ。ただ人はそうは考えない。
緒方の言い分は『一般論』であって『正論』ではない。迂闊にも緒方はそのことを失念していた。自分の周りで当たり前の慣習として罷り通っていること、今更それを真っ向から打ち砕くロジックを持ち出す奴が現れるとは思ってもみなかった。
も寄りかかっていた身体を起こし、背筋を真っ直ぐに伸ばして緒方を見上げた。
「私は先生ともし戦う時が来ても絶対手加減なんてしない」
「君が、じゃない。俺は回りの解釈についてものを云っているんだ」
緒方は分の悪さを感じていた。
おそらくこの会話は噛合わない。お互いスタンスが違う。お互いの言い分を統合することは不可能だ。
ただ緒方の胸を蝕むこの気まずさは、の言葉を一瞬『正しい』と思ってしまったことに起因するのだろう。それは緒方の内部に少なからず不協和音を引き起こした。
この会話を打ち切りたくて言葉を捜す緒方に構わず、はさらに意外な一撃を放った。
「私は緒方精次を倒さねばならない」
小娘の戯言と云い切るにはの目の色は余りにも真剣だった。
ほんのついさっきまで滲ませていた緒方への慕情も甘えも全てを焼き消した目で緒方を見据えていた。
「絶対に」
本気だ。
それが事実可能かということは置いておいて、は本気でそう渇望している。
その変貌振りに緒方は、呆気に取られてただを見つめた。
恋情と敵愾心。
相反する感情を同一人物に対してここまで明確に抱けるものなのだろうか。
初めて緒方はという人間の個性を認識した。
しゃああん、という澄んだ金属の音に二人は同時に反応して、漸くお互いの顔から視線を逸らした。
首を向けた先の、土産物屋の床には大して趣味が良いとも思えないキーホルダがぶちまけられていた。
同じように音の発生源を求めた人々も、音の原因が判ると興味を失って元通りに顔をガラスの向こうに戻していく。
だが緒方はぐずぐずと意味もなくその後始末の殆どを見物してから、やっと視線をに落とした。も緒方にワンテンポ遅れて見上げてきた。
むしろぼんやりとした表情で向こうを眺めていたに、ついさっきの激しさは跡形もない。
緒方は脳内のシュミレーション通りに努めてさりげなく口を開いた。
「もう出るか?」
は返事の変わりに子どもじみた仕草でこくりと一つ頷いた。





「車を回してくる。君はその辺で待ってなさい」
エレベータの中で二人とも無言だった。同乗者が居たことは幸いした。おかげで無言で居ることを窮屈に感じずにすんだ。
は緒方の言葉にまた頷いて、駐車場とは反対の道路脇へとミュールの踵を鳴らした。
君」
手の届かない距離まで歩いてしまってから、緒方はその背を呼び止めた。
が振り返る。まるで燃え尽きてしまったかのように、妙に静かな表情をしている。
「その自販機の辺りにいろ。それから待ってる間ついでに煙草を買っといてくれ」
「いつものラークでいいんですか?」
緒方が銘柄を云う前にが打って返すように答えた。
「ああ。頼む」
踵を返した緒方の耳に「はい」と細い声が届いた。思わず緒方は肩越しに振り返った。も同じように再び歩き出し、緒方に背を向けていた。
いつもは緒方の目を見て話すから。
だから今声だけで彼女を感じたのは初めてだった。
あんな細くて弱々しい声だったのか?
緒方のに対する印象なんてせいぜい図太くて無神経で生意気な小娘でしかなかったのに。
緒方は理由もなく舌打ちすると顎を上げて、今度こそ真っ直ぐに愛車に向かった。



エンジンに火を入れて、緒方は煙草に火を点けた。
ちょうど煙草と飲料水の自動販売機の前に佇むが見える。
パワーウィンドウを下げて煙を外に逃がしながら、緒方は無表情でを見つめてみた。
通り過ぎようとする小僧がを見て「お」っという風に表情を変えた。けれども吸う素振りも無いのに、その手にあるラークの小箱に男の影を感知してがっかりと眉を下げる。
未練ありげにを眺めて、小僧は通り過ぎていった。
緒方はその一部始終へのあてつけのように、殆ど灰になっていない煙草を捻るようにして揉み消した。
クラッチを繋いで、やっと愛車を発進させる。
料金清算を済ませ、の前で停車しドアを開けてやる。
は「失礼します」と断って、一度シートに座ってから脚を揃えて車に乗り込んだ。若いくせに上品な物腰だった。
緒方は頭の悪い女は我慢できるが、品の無い女は我慢できない。
ハザードランプを消しながら、とりあえず車を浜松町駅へと向ける。ハンドルを握りながらちらりと時計へと視線を落とす。まだ夕食には早い。
「先生、これ、どこに置いときます?すぐ吸うんですか?」
「今はいい。後で貰うから持っててくれ。レインボーブリッジに行ってみるか?」
「えっ!?」
が大きな声を出す。緒方が僅かに眉を動かしたのを見て、早口で「ごめんなさい」と音量を落とす。
「いいんですか?だって先生、嫌だって仰ったじゃないですか」
「芝浦だろ?ここから近い。もっとも君が嫌なら別にいいんだがな」
「ぎゃー!!違う、そういう意味じゃありません!行きたいです、凄く行きたいです!」
唇の端を吊り上げて意地悪く云ってやると、は性懲りもなく大声を出す。
『それ』が緒方の知ってるだった。緒方はその反応に満足げに唇を曲げて笑った。
「じゃあ決まりだ」