ちゃんさぁ、ちゃんのお父さんリストラとか大丈夫だよね?」
「何?」

 眉間に皺を寄せたちゃんがぶっきらぼうな声を出す。

「浜田さんのお父さんってリストラされて、それでお父さんの実家の九州に帰っちゃったらしいんだよね。浜田さんはひとりでこっち残ってバイトして学費払ってるみたいだけど、ちゃんのお父さんもリストラされて、それでここにいられなくなってちゃんも一緒にどこかにいっちゃったりしたら俺は」
「不吉なこと云わないでよ。ウチは今んとこそういう話全然ないから」

 俺は心底安心してへらあっと笑う。
 ちゃんは眉間に皺を寄せたまま、「ばっかじゃないの」って冷めた口調で云う。うん、今日もちゃんはかっこいい。

 夏休みだというのにあんまり金もないので、学割で映画見てマック行って駅からちょっと離れた森林公園でだらだら過ごした。けっこうよく行くコース。俺は芝生にねっころがるのスキだしかなり満足。今はその帰り道。星空の下、住宅街を抜けて駅まで移動中。

 なのになんでさびしいんだろうなあ。
 隣にまだちゃんもいるのに。

ちゃんさぁ、俺が部活で会えないときって何してる?」
「は? なにそれ浮気調査?」
「えっ!? なんでそうなるの!?」
「違うの?」
 
 なんだろう、会話が噛み合ってないぞ。俺は三橋じゃないんだから正確に意思疎通出来る日本語が使えるはずだ。

「そういうんじゃなくて。寂しくないのかなあ……とか、考えたワケで……」
「愚問だね」

 うわー気持ちいいくらいばっさり切られた。
 ちゃんがまたこの子はバカなこと云ってるわねぇって感じの顔で俺を見上げる。

「私が寂しいって云ったら、アンタ部活サボって構ってくれるわけ? 無理でしょ。出来ないのが解りきってるんだから訊かないの、そういうことは。それに私がぜーんぜん寂しくなんかないよーって返事してもヘコむだけでしょ。私の答がイエスでもノーでも文貴には百害あって一利なし、だから答えません」

 俺は足を止めた。
 手を繋いでたから、腕がぴーんとなってちゃんも足を止める。

「何?」

 ちょっと怒ったような声。
 もう結構遅いから、ちゃん女の子だから門限あるし、早く送り届けなきゃ行けないのも一応ちゃんと俺も解ってるんだけどね。

ちゃんの気持ちは?」
「え?」
ちゃんの気持ちだよ。本当に寂しいなら俺どうにか昼休みとか時間作るし、寂しくないなら俺超ヘコむけど安心だし、だから俺のために云いたいこと我慢しなくていーよ」

 ちゃんのちょっと釣り上がり気味の大きな目が丸くなってる。
 コノウチュウジン、ナニイッテンノ? みたいな感じで可愛いくて俺はまたへらって笑う。

「俺、ちゃんのほんとのキモチが知りたい」

 ちゃんはまだコノウチュウジン以下略な顔したままで、心配になって顔の前で空いてる方の手を振ってみたら叩き落とされた。痛い。

「バカじゃないの、文貴」
「うん」
「うんじゃないでしょ、なんで頷いてるの、怒りなさいよ、バカ」
「だってちゃんに寂しい思いさせてるなら俺はバカだから」

 ちゃんが息を飲む。
 三日間放置された炭酸水みたいな顔(つまり普通にしてても気が抜けてるような顔)をしているって自覚がある俺は一生懸命真面目な表情を作る。
 じっと見詰めたらちゃんは目を逸らして唇を尖らした。思わず俺は邪な思いでそのツヤツヤした唇をガン見してしまったんだけど、どうやら気付かれなかったようでちゃんがぽつりと口を開く。

「寂しくないよ」
「ほんと?」
「そりゃ、放課後デートとかしてる子羨ましいし、もっと一緒に帰れたらなあって思うけど、私は野球バカなとこ込みで文貴好きになったんだもん、だからいーのそれは。それに球場でふみきーって応援できるのって私だけの特権じゃん、放課後デート毎日してる子にはそんなの出来ないことじゃん、そういうふうにね、毎日足りないものを特別の日にどかんと返してもらってる感じだからいーの。友達いるし文貴マメにメールくれるし、私は今のままでも大丈夫だからいーよ、気にしなくて」

 ああ。
 なんかしあわせだなあ、俺。
 ちゃんが俺のこと好きになってくれて、本当にしあわせだなあ。

「ありがと、ちゃん」

 って嬉しくてチュウしたらビンタされた。痛い。
 俺たちはまた歩き出した。

「なんか変だよ、文貴。なんかあったの?」

 俺は空を見上げた。街灯の明かりが薄い膜みたいになっている向こうに星空がある。他の季節はさっぱりなのに、俺は何故かヘルクレス座とかはくちょう座とか夏の星座だけは知っていた。

「あのさ、俺野球部じゃん」
「うん。知ってる」
「俺、楽しいのが一番だと思うんだよね。そりゃ勝ちたいけど、勝つことだけに拘ってがつがつしたくないっていうか」
「あー文貴はそういうタイプだよね」
「本当はみんな仲良く平和に幸せに暮らせたらいいんだけど、それってそんなに贅沢なことなのかなあ」
「なんで話がそこに飛ぶのよ」

 ちゃんがくすくすと笑う。夜に紛れてその囀りみたいな笑い声は俺の肌を擽った。

「まあ、無理なんじゃない?」
「無理なのかなあ、やっぱり」

 しゅんとした俺の手をちゃんがぎゅっと握ってくれる。やっぱりちゃんは男前だ。

「じゃあせめて俺はちゃんと末永く平和に幸せに暮らしたい……」
「なにそれプロポーズ?」
「えっ!? なんでそうなるの!?」

 繋いでいた手を振りほどかれた。その反動で失言に気付く。
 俺は慌ててちゃんの手首を掴んだ。その細さにどきっとして、慌てて力を緩める。

「違う! ちゃんにプロポーズする気がないんじゃなくて、学生で指輪買う金もないのにそんなことしないよって意味だから!」
「うっさいよ、文貴」

 ちゃんがじとっと睨んでくる。

「何この天然タラシ。ムカつく。ムカつく」
「いたっ、いたいです!」

 二の腕のやわらかいところを抓られて俺は涙目。ちゃんはけらけらと笑っている。うん、ちゃんってちょっとSだよね、そういうとこも好きだけど。

 時計の存在を思い出した俺たちは急ぎ足になって駅を目指す。
 
 ずうっと変わらなけばいいな。
 秋になっても冬になっても来年になっても、永遠にこのままでいられればいいな。