「ちゃんは勇敢だから俺の気持ちなんかわかんないよー」
俺はへらへら笑っていた。
だって酷いこと云った自覚なんてなかったから。
ちゃんがぎゅって唇を噛んだから「あ」って思った。
マズイ、って思った。
夏の蒸し暑い教室の温度が一気に低下した気がした。
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「待って!」
俺、野球部入ってて本当に良かった。
毎日ゲロ吐きそうなくらい身体酷使してなかったら多分捕まえられなかったもん。
てゆうか、机みっつ分は距離があったのに、俺は椅子に座っててちゃんは立ってたのに、瞬間的に物凄い瞬発力と馬鹿力を発揮して盛大に机薙ぎ倒しつつも教室から出て行こうとしたちゃんの手首掴んだ自分をちょっと褒めてやりたい。
でも今はそんなヒマ、ない。
「違うから! なんかとにかく違うから!」
我ながら意味不明だけどしょうがない。
マズイこと云ったってのは解るけど、何がちゃんの心をそこまで引っ掻いたのか解らなくて焦ってる。
『好きって口にするのってムズカシイよね〜』
『どこが? 簡単じゃない、好きなら好きって云えばいい』
『いやまあそうなんだけどさー。好きな人に好きって云えるしあわせってあると思うんだよね』
『なにそれ』
『ちゃんは勇敢だから俺の気持ちなんかわかんないよー』
あああああ。
なんだ、これのどこがアウトだったんだ、わっかんねー!
「違う、ちゃんが考えたことと俺が云いたかったことは多分絶対違うから!」
ちゃんは無言で返事をしてくれない。
毛を逆立てた子猫みたいに手首を拘束している俺の右手にがりがりと容赦なく爪を立ててくる。やばい、何気にすげえ痛いぞ、これ。泣きそう、俺。がんばれ、俺。
「ちゃん! とにかく違うって!」
「何が違うの?」
胃がきゅっとなりそうな低い声。
それでも会話する気になってくれただけマシ。
「えーと、つまりとにかく違うから。そゆんじゃないから」
「だから何が違うの。どうせ私は文貴と違って勇敢なんでしょ。そうだよね、文貴が失恋した直後狙ってすごい押したもんね、私。文貴にとっては好きって云うのは簡単なことじゃないのに、私は余裕でやったよね。別に私のこと好きじゃないけど流されちゃうくらい私の勢いってすごかったよね」
う
わ
マズイ。
マズイマズイマズイマズイマズイこれはマズイ。
俺へらへらしながらちゃんの地雷踏んだんだ。
しかもしてほしくない方向に激しく勘違いされてる。
「ありがと、文貴が私のことどう思ってるかよく解った」
「違う! 全然解ってない! 間違ってるからそれ!」
俺は悲鳴を上げた。
ちゃんはうるさそうに片手を耳に当てて首を振る。俺の手を振り解こうと左手も振り回す。なんか物凄く拒否られてる感があって胸にずきっときた。
ああでもこれは俺が悪い。
どうしよう。
爆発したんだ。
さっきの俺の言葉は導火線に火を点けただけ。
火薬はしんしんとちゃんの胸に静かに蓄積されてた。
ずっと気にしてたんだ、ちゃん。
そんなこと全然ないのに。
「違うよ」
俺は膝を折った。
ぺたんと膝を床に突き頭をたれて、叙勲式の騎士が姫君にするみたいにちゃんの手の甲に額を押し付けた。
「これまで気付いてあげられなくてごめんね。それでもって謝ってすむことじゃないけど傷つけてごめん」
暴れていたちゃんの手の動きがぴたりと止まった。
もう捕まえてなくても大丈夫そうだから、俺は両手でちゃんの左手を持ち直す。
ちゃんと伝わればいいなあと俺は祈るように目を閉じる。
「ちゃんが俺に好きって云ってくれたこと、簡単だったなんて思ってないよ。だってちゃんすげー緊張してたし、こんなときにごめんって俺に謝った。ちゃんのことを勇敢だって云ったのは、勇気のいることをちゃんと出来るからだよ。俺みたいに告白もしないでなし崩し的に失恋したのと違うって意味。無神経とかそういう意味じゃ全然ない。
それと、確かにあのとき俺はふられたばっかで弱ってた。ちゃんが俺のこと好きって云ってくれの、嬉しかった。どうせ俺なんかとか云ってるけど私はアンタのこと好きだよって云ってくれたの、最高に嬉しかった。俺が弱ってるから、俺を励ますために勇気出して気持ち伝えてくれたちゃんのこと凄い優しいと思った。
俺、流されてなんかないよ。逆に失恋直後になんて惚れっぽいんだって軽蔑されそうで云えなかったんだけど、俺、勇敢でかっこいいちゃんに瞬間的に恋に落ちちゃったんだ。
だから変に屈折しないで欲しい。変な負い目を感じないで欲しい。優劣もどっちが先に好きになったとかなし、俺たちはおんなじだけお互いのことが好き、それでいいじゃん」
返事はない。
解ってもらえたのかは解らない。
でも、ちょっとでも俺の気持ちが届いていればいいな。
ちゃんの心が少しでも軽くなりますように。
ゆっくりと顔を上げたところで、俺はざーっと血の気の引く音を聞いた。
ちゃんが自由な方の手を顔に押し付けていた。
透明な雫と押し殺せない嗚咽というオプションつきで。
「ちゃん泣かないでぇえぇぇぇ!」
この世で一番やりたくないこと=女の子泣かすことの俺の声は情けなく裏返っていた。
漸く涙が治まったかと思ったら、酷いみみずばれになってる引っ掻き傷を見てまたちゃんが泣き出しちゃって、最初はいいって云ったんだけど、しゅんってしてるのが可哀想でリトルマーメイドとシンデレラの絆創膏貼ってもらったのが二十分くらい前の話。
片手でチャリ押しながら、今は仲良く手を繋いで歩いている。
あー、しあわせだなー。
「ごめんね…」
そろそろ三十回目に到達しそうなごめん。
俺はそれはもういい仕事したなあって感じに晴れ晴れとした気分なんだけど、ちゃんは花井と同じでマジメなA型だからなあ。俺の右手が完治するまでずっと気に病むんだろうなあ、きっと。
「えーと、これは必要経費なんだよ、うん」
「え?」
まだ目が潤んでいるちゃんが俺を見上げる。
いつものアホの子を見るようなクールな空気は皆無で、なんかすげー素直に俺のこと見詰めてて、これはこれで可愛いと思ってしまった。
「今日腹を割って話し合うことが出来たことで将来起こったかもしれない未曾有の危機を回避できたかもしれないわけで、木っ端ミジンコに破局することに比べればこんなの安いもんで、だから本当に気にしなくていいよ、もう痛くないしさ」
「そんなの起こらなかったかもしれない…だとしたらそれただのやられ損じゃん…」
うん、ヘコんでてもこの冷静なツッコミの切れ味はさすがちゃんだ。
本当は絆創膏の下の傷跡はずきずきと痛むけど、そんなのどうでもいいや。
これは自分で自分を籠の中に押し込めちゃってたちゃんを助け出すための名誉の負傷だったんだからそんくらいのやせ我慢もしようじゃないですか、男・水谷文貴。
多分明日の朝錬でリトルマーメイドもシンデレラもぐちゃぐちゃになっていつの間にか剥がれてるだろうから、そうしたらまたちゃんに貼ってもらおう。
今度は白雪姫がいいって云ったらちゃんはバーカって笑ってくれるかなあ。
君が笑ってくれるよう、明日もがんばるよ、俺。
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