…………食べたわ。

この子、牛丼特盛2個食べた後にステーキ1枚とその付け合せのブロッコリーもポテトフライもフランスパンも全部キレイに平らげたどころか、見えないだけで実は破裂しそうになっているんじゃないかとか思って『お腹いっぱいなら無理して食べなくてもいいのよ?』とか気遣ってしまったあたしを何云ってんのこの人って感じに見て『そんなもったいないことしねーよ』と目を丸くした挙句、あたしが残していたお肉3切れまで「いらねーならちょーだい」とか云ってぺろりと食べてしまいましたよ。

なんか……人体の神秘を目の当たりにした気がするわ。
大喰い大会とか出てみたらどうかしら?ああ、今は大喰い大会なんて云わないんだっけ、ええと、何て云ったっけ、ああ、そうだフードファイトだ。

「ごっそーさま!」

あたしが優勝賞金っていくらぐらい出るんだろうなんて不埒なことを考えてるとは露知らず、お城ちゃんはぱーんと景気よく両手を合わせてぺこりと頭を下げる。
脊髄反射でつい「お粗末さまでした」なんて心にも無い返事をすると、お城ちゃんは「スゲーウマかった!」と満面の笑顔を零す。

溜息を吐くとあたしは立ち上がってティッシュの箱を取ってきて、2、3枚引き抜くとお城ちゃんに差し出した。解ってなさそうな顔にあたしは嫌味たらしい溜息を吹きかける。

「口の回り拭きなさい。高校生にもなってみっともない」
「え?なんかついてる?」
「だから拭きなさいって」

唇をはみ出したソースを意地汚く舌で舐めとろうとするもんだから、あたしは仕方なく手を伸ばして拭いてやった。
だから何であたしがこんなことを……。

綺麗にしてやると「おう、サンキューな」とか云って笑顔で御礼を口にしてるけど、この子自分がどれだけ恥ずかしいことされたか解ってんのかしら?
幼稚園児じゃないんだから高校生ならここはむしろ『ガキ扱いすんじゃねぇよ!』っていうのが正解な気がするんだけど。

ほんと変な子…。

ゴミ箱にティッシュと溜息を投げ捨てるあたしを気にする素振りもなく、お城ちゃんがテーブルの上の皿を重ね始める。

「なー、さん」
さんでしょ?」

こりねぇガキだな。
またデコピン喰らいてぇのか?

あたしが薄ら寒い微笑を浮かべると、本能で危険を察知したのか微妙に身体が逃げる。

「解った、な」
、さ、ん、よ」
「…チェッ、ガミガミババア」
「何か云ったかしら?」
「皿洗ってきます!」

そう云って重ねた皿を器用に片手で運びながら(そういうバイトでもしてるのかもしれない。片手で重ねたお皿を持ってるくせに危なげないし、背筋の伸びた綺麗な歩きっぷりだった)、今度こそ本当にキッチンへと遁走する。

「割ったら承知しないわよ〜」
「ゲッ!?何?この皿高けえの?」
「タダよ。春のパン祭りでもらったやつだもん」
「なんだよ……じゃあどってことないじゃん、割れたって」
「馬鹿ね何云ってるのよ!女の一人暮らしで25点分集めるのがどれだけ大変だと思ってるの?その期間中はハイジの白パンも明太子フランスも我慢するんだから割ったら怒るわよ!」
「……アア、ソウデスカー」

キッチンから物凄い棒読みの声が返ってくる。
あたしは苦笑しながらそういえばと思い、すでに水音のし始めたキッチンに再度声をかけた。

「ねぇ、上着脱ぎなさい。上着たままじゃ汚れるわよ」
「あー、いーいー、別にこんなのちょっとぐらい汚れたって別に構わねーって」

いや、ちょっとは構えよ。
そういや食事中もずっと着たままだったけど、口の周りの汚し具合から察するにやばいんじゃない?
こぼしてんじゃないかしらと思って、だからどうしてあたしがこんな心配をと頭痛がしてくる。

あたしはテーブルに肘をついて額に拳を押し当てた。

何よ、これ。
いわゆる『駄目な子ほど可愛い』現象?

……いや、かわいくない、あんなのちっともかわいくないわよ、しっかりと意識を保って正確な状況判断をしましょうね、さん。
アレは人の夕食を強奪したあげく、半ば脅迫めいた手段によって我が家に押し入ってきた闖入者なんだから。

…でも何だかんだいって結構楽しかったのよね。
だってあんまりにもこの子馬鹿なんだもん。
この子を拾わなかったら多分あたしは意地になって牛丼特盛を食べながらビールとワインで一人大捜査線大会を開催した挙句、数時間後には気持ち悪くなってトイレでゲロまみれなんて最悪の週末を迎えたことだろう。


………………。
…………いや、だから!!
そうじゃないでしょ!
迷惑してんでしょ!

どうしてあたしがこのクソガキに『ありがとう、君のおかげで寂しさがまぎれたワ』とかってまるでホスト買うしか脳がねぇ乾いたババア(暴言)のごとく生温い感謝を捧げなきゃならないのよ!!!(逆ギレ)

牛丼特盛×2+ステーキ肉+付け合せもろもろで4千円以上タダでコイツに喰わしてやったのよ!
あたしの方こそ跪いて脚をお舐めぐらい云ってもバチはあたらないんじゃないの!?


なんて、そんな風に悶々と低俗なことで懊悩していたものだから気が付かなかった。
だいたいここはあたしの家であって、これまで誰一人警戒なんてする必要がなかったのも拙かった。

普段だったら背後に人が立ったり、ましてや無神経に伸ばされる腕に鈍感でいられるわけがないのに。

「ねぇ」

掠めるように首を撫でた指先にあたしの中で瞬間的にほの暗い感情が弾けた。







「………えっと…その、ごめん…」

椅子を蹴倒して立ち上がって距離までとって、身を守るように自分を抱きしめながら自分を睨み付けてくる女にお城ちゃんの方がびっくりして立ち竦んで、訳も解ってないくせにとりあえず謝罪の言葉を口にしてくる。

あたしは震えそうになるのを抑止しようと自分の両腕で自分の身体を押さえつけながら、噛み締めていた奥歯をほどく。

「…何?」
「あ、いや、皿、洗い終わったし、肩でももんであげようかなーって思ったんだけど…」
「結構よ!」

申し訳なさそうにこめかみの辺りを掻く年下の男の子に向かってヒステリックに喚く女。
なんてみっともないんだか。

あたしは落ち着くために息を継ぐ。

大丈夫。
この子だって悪気があってやったことじゃない。
だって知ってるわけがないんだもの、客観的には過剰反応してるのはあたしの方なんだから怒ったりしたらこの子の方が可哀想だ。

「…ごめんね、ちょっとびっくりしただけ。座って、そっち。お皿もありがとうね」

所在なげに突っ立ってるお城ちゃんに反対側の椅子を指す。少しだけ迷う素振りを見せながらも、お城ちゃんは倒れた椅子を直してくれてから云われた通りに向かい側の椅子に腰を降ろす。

あたしもお城ちゃんが座ったのを確認してから元通りの席に戻った。

「もう遅いからそろそろ帰ったら?」

微妙に気まずそうな表情を浮かべてるお城ちゃんにそう云ってあげる。
実際もう9時になろうとしているし、なんとなく云いたいことがあるんだけど云えないって顔していたからだ。

でもあたしの言葉にお城ちゃんはますます微妙な顔になって、云い難そうに苦笑して見せた。

「あ〜……実はその一晩泊めてほしかったりするんだけど…」
「駄目に決まってるでしょ」
「だよなぁ〜」

あっさりと云い切ると、向こうもあっさりと諦める。
牛丼のときのひつこさが嘘のようだ。
一応気を使ってくれてるのかもしれない。
まあそれ以前にろくに知りもしない今日会ったばかりの人間にいきなり泊めてくれないか、なんてお願いすることの方が非常識なんだけど。

「どうすっかな〜」とか呟きつつ、べちょ〜っとテーブルに張り付いてしまったお城ちゃんを放っておいてあたしは煙草に手を伸ばした。
一応未成年のお城ちゃんに気を使ってさっきから吸ってなかったんだけど、悪いけどもう他人を気遣う余裕が今のあたしにはない。
あたしにとっては最早日常の一部である喫煙をすることで、さっさと平常通りの自分に戻りたかったのだ。

唇に咥えて火を点けると、そのかすれたライターの音に反応してテーブルに頬を張り付けたままお城ちゃんが目線だけ上げる。

「…いいもん吸ってるね」

またか。

「駄目よ、未成年でしょ。お酒も煙草も大人になるまでとっときなさい」
「頼む!」
「あんたねぇ…今日何回目、それ?今日会ったばかりの他人に牛丼くれだの家泊めてくれだの、我侭云い過ぎ」
「頼む!いや、お願いします!マジでこれが最後!」

あたしは溜息を点いて箱とライターをお城ちゃんに向かって滑らせる。
くだらない押し問答をする余力もなかったからだ。
本当だったら煙草なんて嗜好品、自分で稼いでもいないガキが吸うもんじゃないと思ってるから絶対やらないところなんだけど。


………あらあら。
見かけどおりというか何と云うか、ガキのくせに慣れた手つきで煙草を取り出す。

指の根元に煙草を挟むと、口元を隠すようにして火を点ける。
まあまあ、ずいぶんと渋い吸い方だこと。

ブルーのラインストーンがびっしりついたライターを物珍しげに眺めた後、お城ちゃんはそれを元通り煙草の上に重ねる。
手元に正確に帰ってきたそれらと入れ替わりに、あたしは灰皿を丁度ふたりの中間地点に設置してやる。

そうやってしばらくふたりで黙って煙草を吸っていた。

いつだって美味しくないその味を舌に乗せながら、あたしはどこか冷えた思いで自分が回復していくのを感じていた。ぼんやりとただそれを待ちながらすることも無くできることも無く、あたしは正面に座したお城ちゃんを眺めている。

城之内少年は妙に疲れた顔をしてゆっくりと煙を吸い込んでは、同じようにゆっくりと煙を吐き出していく。

ああ。
そうじゃないかと思っていたけどやっぱり。
あんまりにも言動が馬鹿っぽくて表情がガキくさいもんだからそういう印象を与えないけど、この子黙っていれば整った顔立ちしてる。

こうやって黙っていればそんなに馬鹿っぽく見えないのになぁ。
目元の感じとか可愛いし、美少年と云えないこともないのに。
ある意味もったいない。

…まあ、そんなことは置いておいて。
泊めてくれって、要するにそれは家に帰りたくないっていう意思表示か。
あんなにお腹を空かしてたってことからしても十中八苦家出少年ってとこかしらね。
煙草を咥えてぼんやりと何か考え込んでいるけど、大方ここを出た後どこに行くかってことでも、ない知恵絞って模索しているんだろう。

てゆーか灰が落ちそうなんだけど。


「………うおっ!?」


…あーあー。
あたしが指摘するより先に灰が落ちてしまいましたよ。
どうにか復活していたあたしは灰皿に煙草を投げ入れると仕方なしに立ち上がる。

「ほら、上着脱ぎなさい、火傷は?」
「ギャー!俺の学ランが!ギャー!!」
「煩いわね、喚いてないで速く脱ぎなさいって!」
「キャー!お姉様のエッチ!」
「殴るわよ!」
「殴ってから云うなよ!」

あたしはクソガキから学ランを引っぺがすとキッチンの流しで灰を払い落として、汚れたところを濡らしたティッシュで拭いてやった。
少しばかり焦げて黒くなってしまったけどそれほど目立たない。穴が開いたわけでもないし、これならまあ大丈夫だろう。

今度は乾いた布で濡れたところの水分を吸い取りながら、ふと後方のお城ちゃんへと視線を向ける。すると白いTシャツ姿で居心地悪そうな顔をしてぽつんとひとりで立っていた。
でもその隠すように重ねられた左手の下、その右腕に捲かれたハンカチらしき布っきれ。

あたしは瞳を細めると、歩み寄って学ランを椅子の背凭れにかけてからお城ちゃんへと手のひらを突き出した。

「腕、見せなさい」
「な、なんで!?」
「いいから。早く見せなさい」
「やだよ、アンタにカンケーねぇだろ!」
「牛丼と牛肉、約4千円今すぐ払う?」
「スイマセン、ムリです…」

嫌々差し出された腕を乱暴に引き寄せる。
きつく縛られた結び目を舌打ちしながら解いて、布を取り去ろうとしたら今度は血で張り付いてなかなか剥がれない。
いちいち悲鳴を上げて逃げようとするお城ちゃんを「4千円」という呪文で脅迫しなら、やっとのことで傷口を曝け出す。

「……馬鹿じゃないの、アンタ」

あたしは本日最大の溜息を吐く。
さすがに自覚があるのか、お城ちゃんは唇を尖らしてそっぽを向いて黙ってる。

右腕の肘から手首にかけて腕の内側、明らかに顔を庇った所為で付いたような裂傷が20センチほど。
血は完全に止まってるからいつやったのかは知らないけど、肉が見えてるしこんな杜撰過ぎる処置で良い訳がない。

「ほんとに大馬鹿。これどうするつもり?縫わないと拙いわよ」

お城ちゃんは気まずそうにだんまり。
あたしは大仰に息を吐くと掴んでいた腕を解放した。

「病院に行きなさい」
「ダメだ!」

物凄い勢いで怒鳴られてあたしはびっくりした。
咄嗟に浮かんだのは金銭的なことだった。病院だってタダじゃない。

「お金ないなら出してあげるわよ、それぐらい」

そう告げるとお城ちゃんははっとしたように視線をフローリングに落として、ぎゅっと拳を握る。

「そこまでしてもらう義理はねぇよ。俺大丈夫だから。ありがと、さん、俺もう行くわ」

そうやって逃げるように顔を背けたままあたしの横を通り過ぎる。
あたしはさっきのお城ちゃんの表情から漸くもうひとつの可能性に思い当たり、伸ばされた手が掴むそれより先に学ランを素早く椅子から奪い取った。

あたしの行為に目を丸くしているその顔を呆れた思いで見つめる。

確か病院は不審な怪我の患者が来院した場合、警察に届け出なきゃならないはずだ。
この場合お城ちゃんの怪我はド素人のあたしから見ても十分不審な刃物傷な訳で、つまりはそんな通報なんてことされたらお城ちゃんは困るんだろう。
どうりで上着を脱がないはずだ。

「その傷が家出の原因?」

ずばっと云ってやるとお城ちゃんがぎくりと顔を強張らせる。
うわあ、解りやすーい。

「まあ確かに親御さんに見せたらびっくりするでしょうね、息子が腕にそんな刃物でできたとしか思えないような傷つけて帰ってきたら。でもだからってその傷が直るまで帰らないわけにも行かないでしょ?ずっと家に帰らないつもり?」

ずばずば云ってやるとますますお城ちゃんはしょぼーんとうなだれて行く。
うわー怒られてる犬みたーい。
面白いからもっと苛めてやりたい気もするけど、遊んでる場合じゃないわよね。

学ランをその胸に突っ返すと、煙草の隣に置いてあった携帯を手にとってアドレス張を開いてカ行を検索していく。

「ほら、病院行くから用意しなさい、っていってもアンタが用意しなきゃいけないことなんてないか」
「だから病院はダメだって!」
「煩い。要は警察に連絡されなければいいんでしょ?結構離れたとこまで行かなきゃならないかもしれないけど、黙っててくれるとこに連れてってやるわよ」
「は?」

目当ての名前を発見して溜息を吐く。

この真性の大馬鹿野郎にだけは借りを作りたくないけど、まあ仕方ない。そういうコネを持ってそうな奴はコイツしか知らない。
直接外科医の知り合いもいることはいるし一応は黙っててくれるかもしれないけど、そいつらじゃその代償に金銭とか身体とかインサイダーな情報等の要求をされることにもなりかねない。
いや、この馬鹿の場合も後々強請られることになるだろうけど、それは上記のような一般的な意味の強請りではなく、もっとこう、こっちが精神的ダメージを受ける、そんなことをしてアイツは何が楽しいんだかさっぱり理解できない類のことを要求されるはず(嫌な感じに自信有)。

まあ、社会的損害のないだけ多分マシ、なはず…(嫌な具合に自信薄)。


電話かけるの何ヶ月ぶりだろうと暗澹たる思いに囚われながら寝室に移動しようとして、あたしは何だか途方にくれたような顔してるお城ちゃんを振り返る。

「踊る大捜査線、好き?」
「は?」
「青島君知らない?都知事と同じ青島です、ってやつ」
「あ、あー知ってる知ってる」
「病院から帰ってきたら大捜査線大会開催決定だから、君も出席するように」
「え?あ、え?」

要するに泊めてやるってことだ。
ああもう、さん大丈夫デスカー?って感じだ。

あたしは意味がよく解ってないらしいお城ちゃんを置き去りにして、寝室への扉をくぐりながら悪魔へ直通のボタンを押した。