この下にあるのは『美貌の日々　言戯』の裏っつーかボツバージョンです。
途中までは表にあるのと同じ会話で、「馬鹿なこと云ってないで、もういいから黙って寝てて。運転の邪魔」というヒロインの台詞から後が変化してます。
本当は表にある方を一旦ボツにしてこっちを書いたんですが、なんつーか…………。
まあ、興味のある方は下へずずーとお進み下さい。

「おかえりなさい、先生」
　後部座席に荷物を放り込むと、助教授は身を投げ出すようにして助手席に腰を下ろす。酷くお疲れのご様子で、「ただいま、」という台詞は吐息と折り重なるようだった。
　ウインカーを出して発車する。夕方になるとお迎えの車でごった返すロータリーも、まだサラリーマンの終業時間まで間があるから大して混雑していない。
　左折して大通りに出ると、ちらりと左隣に視線を送る。助教授は既に緩めてあったネクタイに人差し指を引っ掛けて、さらに緩めていたところだった。
「疲れた？」
　私の問いに助教授は器用にも座席の上で僅かばかりに肩を竦めてみせた。
「さすがに強行軍だったからな」
「寝ててもいいよ」
　気だるげな手が伸びてきて私の髪をくしゃりと撫でた。
「いい子だな、は。あとでチョコレートやるからな」
　チョコってなんだ、チョコって。
　私はおつかいの幼稚園児かこんにゃろう。
「……あー、でも、先生が寝ている間にうっかり道を間違って変なとこに連れてっちゃったらごめんねー」
　今更私が助教授の下宿先のある北白川への道を間違える訳はなく、後半の台詞は何と云うかちょっとムカついたので軽い嫌がらせがしたくなっただけだ。
　当然馬鹿云うなと返されると思っていたのに、欠伸の後に続いた助教授の返事は私の首を傾げさせるのに十分だった。
「是非ともうっかりして楽しい遊園地に連れてってくれ」
　遊園地？
　今の台詞が冗談だって助教授だって解るだろうに、それがどうして遊園地？　何で？　まさか本当に行きたいとか？
「先生、遊園地って…」
　何と問う前に私は回答に手が届いてしまった。
　今まさに車は電飾つきの木馬の模型をごてごてと飾りつけたラブホテルの前を行き過ぎようとしている。
　……う…うぅわぁあぁぁ〜…。
　何か建て直してると思ったら、こんなもの造ってたのか。
　このホテルのデザイナーやオーナーには申し訳ないが、顔を顰めずにはいられない。はっきり云ってかなり悪趣味な外装だ。インパクト満点でセンスは零点。
「先生」
　軽蔑を臭わせる冷めた声を作る。
「あの遊園地に行きたいならおろして差し上げますよ、お一人で心行くまで遊んでいらしたらいかが？」
「あんなとこ一人で行って何が楽しいんだよ。遊園地がお気に召さないようならお城でもいいぜ」
　この道をしばらく行って脇道にそれると、ラブパレスというホテルがある。こっちの方は私が生まれる前からあったものを数年前に改築していて、周囲の景観にも配慮したこざっぱりした外観をしていたはずだ。ただし名前が頂けない、直訳すれば『愛の城』、遊園地の最悪さとどっこいどっこいだろう。
　睨みたかったが運転中なので自粛した。
「あのねえ、さっきから何云ってんの、先生。疲れすぎて頭わいちゃった？」
「疲れすぎて発情してる」
「はあっ！？」
　思いもよらない切りかえしに、すっとんきょうな声を上げてしまった。
　隣の助教授がどんな顔をしているのか、見たいような見たくないような。
「…あ…えー…と……とにかくさっきのは冗談、嘘、まっすぐお家に向かうから」
「なんだ、つまんねえの」
「つ、つまんなくなんかアリマセン！　だ、だいたいさぁ、私と一緒にああいうとこ入れるわけないじゃん！　受付で止められるよ！」
「あの手のホテルの受付は原則無人だ。それに、お前はお前が思っているほどガキ臭くないって何遍も云ってるだろ。おっと、おじいさんがウインカー出してるぞ、いれてやれよ」
「で、でっ、でもきっと周りの人に先生はロリコンだって絶対思われてんだから！　織原くんだって何にも云わなかったけど、最初に会った時私のことええって顔で見てたもん」
「ロリータコンプレックスにしろある種のフェティシズムにしろ、ある種の嗜好特性を備えた不特定多数に見境なく反応してしまう場合においてのみそれは性癖と判じられるべきだ。俺は小柄で童顔の女性なら誰であろうと欲情する訳じゃない、お前さん以外に愛着を感じないんだからロリコン扱いは心外だな。、スピード出しすぎじゃねえか？」
　誰の所為で出してると思ってるんだ、誰の。
　さらりとこっ恥ずかしいことを云わないで欲しい。暑くもないのに汗を覚えて、私は冷房のスイッチを押す。
「馬鹿なこと云ってないで、もういいから黙って寝てて。運転の邪魔」
「着いたらキスで起こしてくれるなら寝る」
　アホか。
　いい年した大人が何をぬかしてるのだ。
　返事をする気にもなれず、私はしばらく運転に専念する。
　長い直線に入ったところでちらりと横を見てみると、先生は疲れた顔をしているくせに目を開けていた。
　隣にも聴こえるように盛大に息を吐く。
「先生。悪いけど、ちゅーで起こすとか絶対無理だから」
　先生の下宿先まではあと十分ぐらいだ。日が暮れる気配はまだ遠い。従って車の中でそんなことしたら外から丸見えではないか。もし近所の人が通りがかりでもしたら、恥ずかしくて二度とあの近辺に近寄れなくなる。
　くっと先生の咽喉が鳴る気配がした。
　横目で捉えたその顔に少しもがっかりした色はなく、口元に笑みを湛えてすらいる。
「冷てえな」
「解ってるんなら云わなきゃいいのに」
「人間には万が一ということがある」
「残念だけど今回はないよ」
「どうしても？」
　小さな子の駄々でもあるまいし、ずいぶんと喰い下がるではないか。
「太陽のある内に路上でなんて、そんなはしたない真似は出来ません。でも、家の中ならいいよ、今度ちゅーで起こしてあげるから今は休みなよ」
「室内なら可なわけか」
「可っていうか、うーん、可なのかなあ」
「なあ、」
「何？」
「甘やかす気があるのなら、もっと真剣に甘やかしてくれ」
「別に甘やかすとかじゃ……てゆうか…えと、じゃ、お家に着いたら膝枕で昼寝とか？」
「足、痺れるんじゃないか？」
「え？　あ、うん。痺れると思うけど」
「なら別のにしろよ」
「別？　別と云われても……添い寝？」
「もうちょっと公序良俗に反する甘やかし方を希望する」
「先生、自分の気に入る回答が得られるまでずうっとダメだしするつもりでしょ。だったらいっそ具体的に云えばいいじゃない」
「具体案を正直に話せばそれをお前は必ず叶えてくれるのか？」
「え…先生、何なの、その妙に含んだところがあるような物云いは」
「どうなんだよ。具体案の提出イコール即採択と考えていいのか？」
「…………内容によります」
「悪徳政治家みたいに卑怯な返答だな、」
「ひどーい！　誰だって言質をとられて無理難題ふっかけられたりするのなんて嫌に決まってるじゃない！　むしろ今の流れでうんって云ったら私バカだよ！」
「無理難題じゃないだろ。俺の要求は至極単純だと思うが」
「どこが？」
「甘やかしてくれっていう俺の台詞の意味をお前は本当は解っている。それを故意にはぐらかしているんだから、意地悪されてるのは俺の方なんじゃないか」
「…その云い方、私すごいヤな女みたいじゃん」
「だが事実だ」
「…だって………外まだ明るいよ…」
「ああ、そうだな」
「ねえ、先生……やっぱりいい、なんでもない」
「何だよ、気になるじゃねえか」
「大したことじゃないから…てゆうか、あの、そうゆうふうに思い切りじっと見られたりすると非常に気が散って危ないんで止めてもらえません？」
「なら話せよ。何を云い掛けて止めた？」
「うわあ、信じられない、大学の助教授さまが脅迫行為を働くなんて」
「」
「…………本当にくだらないことなんだからね。あの…私ってさ、ほら…その…なんという…か、む、胸もないし、私とそういうことして楽しいとは思えないんだよね」
「で？」
「え？　え、えーと、だから…その」
「俺に抱かれることが苦痛なのか？」
　私は思い切り助教授の腕を引っぱたいた。叩くだけでは飽き足らず、グーに握るとパンチもお見舞いしてやった。
「何だよ、いてえな」
「あーもーイヤ！　もーヤダ！　どうしてまだ明るいうちにこんな話をしなくちゃならないの！　私、先生を降ろしたら寄らないで帰るから！」
「落ち着けよ、」
　ヒステリックに叫ぶ私の肩に先生の指先が触れたが、座席の上で身を捩りその手を振り払う。
「悪かったよ。だが、論点をずらしたお前さんも悪いんだぜ。こっちはお前と寝たいって云ってるのに、今そんなこと云われたら拒絶されてるもんだって思うだろ？」
「だから寝たいとか云わないでよ！」
「なあ」
「何よ」
「少なくとも俺は容姿でお前さんを選んだわけじゃないが、お前のその小さな身体が嫌いじゃないぜ」
「もういいって、その話題は」
「胸だってそれだけあれば十分だろ。俺は豊かな胸にセックスアピールを感じるタイプでもないし丁度いいくらいだ」
「だぁーかぁーらぁー！　もういらないって云ってるでしょー！」
「」
「何！？」
「本当に俺を降ろしたら帰るつもりか？」
　一瞬、車内に沈黙が落ちた。
　途中からは殆ど無意識で運転していたのだが、もうとっくに車は市街地を抜け住宅街に入っている。あと一分もしないうちに先生の家の前につくだろう。
「先生」
　可能な限りドスの利いた声を吐き出す。
「先生を降ろしたら帰っちゃうのと、先生と一緒にお家の中には入るけど子守唄を歌って寝かしつけてあげる以外のオプションは一切ないのと、どっちかいいか先生が選んで」
「ずいぶんなことを云うじゃねえか」
　つんとしたまま、ハンドルを切る。
　門扉の手前に車を着けると、仏頂面でサイドブレーキを引く。
　先生はドアを開けると、さっさと一人外に出る。私はまだどっちがいいのか聞いていない。シートベルトを外さずにいると、ライターの炎の音がした。
「、お前も降りろよ」
　ならば子守唄で優しく甘やかしてもらうことがお望みということか。
　先生が天井に手をついたのか、車が微かに左に沈んだ。車の中にいる私からは胸元までで先生の顔は見えない。まるでドアから生えてるみたいに、だらしなく結ばれたネクタイがぶらさがっている。
　風にのってキャメルのにおいが私の鼻先を掠め、低い声は耳朶に忍び込む。
「さっきの話の続きだ。何よりお前のその易々と自由を奪われてしまうか弱さは保護欲をそそるよ。大事に泣かせてみたくなる。俺が今持て余している欲望の原因はお前だよ。他の誰でもない、お前さんが俺の理性を昼間っからがたがたにしたんだ。だから責任を取ってくれ」
　云いがかりだ。それ以外の何物でもない。
　まったく論理的じゃないし、よりによって大学の先生が太陽のあるうちから口にすべきことじゃないだろう。
　これじゃまるでただのそこらの男の人だ。
「……先生、自分で云ってて横暴だとか思わない？」
「思うな」
「あっそ」
　なんてことだ。確信犯なのか。
　最後通牒のごとく、ぱちんと携帯灰皿の蓋が落ちる音。
　私はエンジンを切るとしぶしぶドアを開けた。
　ばたんばたんと重なるように二枚のドアが閉まる。
「空港でお前に土産を買ってきた。好きだろ、チョコレート」
　妙に穏やかに微笑むその顔が憎たらしくて、私は赤い顔で思い切り睨みつけた。





…………というわけで、なんつーか火村先生が真昼間からヤリたい為にあまりにも必死すぎんじゃね？ということでボツにしました(死)。
美貌の日々は出来上がってること前提で書いてるし、ある意味人間らしくていーかとも思ったものの、他の三つと比較してあまりにも出来上がりすぎてて初々しさや可愛らしさがない上、綺麗なオチも思いつかなかったので。
助教授が下心に突き動かされてる様は面白いが、そのオモシロさはイメージダウンを伴う面白さというのもボツになった要因のひとつです。